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初マラソンで思い知った自分のおごりと弱さ

1年前〜大会前日まで

もともと走ることは嫌いじゃなかった。(今は素直に好きだと言える。)自慢じゃないけど、昔から脚はまあまあ速かったし、3年前までは職場の仲間と毎年駅伝大会に出たりして、素人にしてはそれなりの順位やタイムやで走っていた。

とは言え実は10km以上は走ったことがなかった。さすがにフルマラソンはハードルが高すぎて別次元の世界と思っていたので、出ようと考えたことすらなかった。ところが昨年、今年12月のフルマラソン出場権に当選するという幸運に恵まれ、ついにフルを走ることになった。

駅伝であれなんであれ、練習という名の努力は人並み以上にする。けど欲張りな僕は、同じ練習量でも最大限の効果を求める。人と同じ時間練習したら人よりも伸びしろが大きいはずだし、またそうでないと気が済まない。そんなうぬぼれに浸っていた。

フルマラソンを走る日までは。

さて、思い上がってはいるけれど、実は小心者で慎重な僕は、必要な準備を怠るような真似はしない。ウサギとカメで例えるならウサギ気取りのカメさんってところか。1年前から短距離だけどコツコツと朝ランしていた。夏前に実家の村の動員で溝掃除中に左ひざを痛めてしまい、長期間まともに走ってなかったため、マラソンを想定した距離を走りだしたのが、大会の2カ月前の10月。焦りは合ったけど、十分挽回できると踏んでいた。

徐々に負荷を上げて練習を重ねるうちに、スピードもスタミナもどんどんレベルアップしているのを感じられた。楽しかった。充実していた。

そして完走だけじゃ物足りない、どうせ走るなら「初マラソンにしてはやるな〜」とか言われるくらいのタイムで走りたいっていう邪な欲が出てきた。

そんな折、職場の後輩が11月に初めてフルにチャレンジすることを知り、意気投合した。彼は仕事後に走っているようでなかなか思うように練習できない様子。僕の10月の月間走行距離(270km)を聞いて驚いていた。いい気になった僕はまだ完走したこともないのに先輩ヅラしてアドバイスしたりした。彼はサブ4(4時間以内で走ること)は難しそうなので今回はとにかく完走を目指すと言う。

そんな彼、ふたを開けてみれば堅実なペース配分でしっかりサブ4を達成していた。30kmくらいまでは5’40”/km前後のペースで抑え、そこから余力があればペースアップする。それはまさに僕が思い描いていた理想的なペース配分だった。

焦った。僕もサブ4を一応の目標にしていたが、彼のタイムに負けるわけにはいかない。ここで初マラソンには全く無用な(と、後に悟る事になる)競争心、対抗心に火が付いた。

おまけに大会前日、上司にも冗談半分で期待とプレッシャーをかけられた。「いやいや、初めてなんでとりあえず怪我せず完走ですよ~」とか言いながらも心の中では自分の能力と練習量ならもっとやれるはず、いや、やるしかない!と思った。

もちろん趣味で走る市民ランナーの特権で記録にこだわらずともいろんな楽しみ方がある。でも練習するうちに欲が出てくるものだし、やっぱりタイムはモチベーションになる。

大会本番

そして迎えた12月18日、この冬一番の冷え込み、それに強風。でも出場者は青い空のもと、鮮やかなウェアーやシューズ、仮装、そして声援。そんな会場の雰囲気に自然と気持ちは盛り上がる。

スタートの号砲が鳴る。と言ってもウェーブスタート、時間を空けて前から順番に走り出す。舞い上がらないように自分に言い聞かせる。しばらく走ると4時間ペーサーの率いる集団を見つけた。この集団について走ればサブ4は確実だ。

しかし、団子状態ゆえに、割り込みや接触などのちょっとしたトラブルが起きる。給水所ではドリンクを受け取る人と受け取らない人の動線がクロスし、ぶつかりそうになる。いつも早朝に一人で走っていたので、こういう煩わしさは全く想定外だった。いちいち気にしなければよいだけなのだが、その時はそれすらわからなかった。

フラストレーションも募り、無駄に気力、体力を消耗するだけなので、7kmあたりで集団から飛び出す。そこからは気分よく走る。ペースは平均5’20”/km。 実際は強風の中、こまめに上げたり下げたり。速すぎるとは思わなかった。15~20kmあたりでかすかに右ひざ(溝掃除で痛めた方ではない)に異変を感じ始める。

折り返し地点を通過、右ひざの異変は確かな痛みに変わり、徐々に強くなってくる。30kmあたりまでは追い風に助けられペースを維持。このままいけばタイムは3:45くらい。

だがそこまでだった。30km過ぎから再び強い向かい風。ひざの痛みももう容赦ない。これは多分最後までもたない。心も折れ、徒歩を交え始める。

これまでもロング走(20~30km)の練習終盤に痛くなることはあったが、痛みがこんなに早く訪れたのも、走れないほど強くなったことも初めてだった。おそらく腸脛靭帯炎、いわゆるランナーズニーだ。

また、練習では意識して序盤は必ず抑えめの5’30”~6’00”/kmで様子見、中盤で5’15”~5’30”、終盤で余力があって初めて5’00”に上げるようにしていた。結果、これくらい(5’20”/km)のペースなら十分走れるという思い込み(過信)が生じていたのだと思う。こんなことなら練習で無理をして痛い目に遭っておけばよかった…なんて後悔しても後の祭り。

あと7kmは…残り5kmくらいは…せめて3km、いや2kmは走ろう。気持ちはそう思うが、脚はすでに重く、再び動かすのは辛い。こんなはずじゃなかった。最後の1kmを意地で走ってゴールするのがやっと。

記録は4:14。初マラソンにしては悪くないタイムだと思う。

達成感?
なかった。
悔しかった。
情けなかった。
結果(タイム)のことではない。

  • 大会前もレース中も周囲の雑音に惑わされ、自分に集中できなかったこと。

  • 練習でやってないことを本番でできるはずがない、そんな自明の理にも関わらず、浮足立って自分を抑えられなかったこと。

  • 何より自分のおごり、うぬぼれ、虚栄心。それらを真っ向から突き付けられたこと。

僕は趣味で走る市民ランナーであって選手ではない。大事なのは相対的なことではなく、自分が内容(過程)に満足できることだ。そんな当たり前のことを、身体で学んだ苦い初マラソンだった。

でもやっぱり走ることが好きだ。
まずはひざの養生が第一。と思いながらも走りたくてウズウズしている。