プレゼンテーション1-1

資源がないヴェネツィアが、なぜ世界一の海洋都市国家になれたのか。

 前回ヴェネツィアは、東からやってきた暴力団グループから逃げるために海の上に造り上げた埋立地だとまとめました。今ニュースにもなっていますが、暴風雨でヴェネツィアの街が水没しています。ヴェネツィアの街はわざとたくさんの水路が張り巡らされています。というのも、水路をたくさん作ることによって、水の通り道を多くし、水没を防ぐためです。それでも街が水没するのは地球温暖化の影響とも言われています。(機会があればこの街全体が浸水してしまうことについても紹介します)


 話がそれてしまいましたが、今回は、そんなヴェネツィアがどのように経済力をつけていって、衰退していったのかをまとめます。

自国には何もない。では海の外に目を向けよう

 干潟のところに街を造り上げたので、自国で生産できるものは、塩くらいでした。できたてほやほやの街ヴェネツィアはこの塩を交易することで成り立っていました。しかし敵が現れます。コマッキオという街です。

 ヴェネツィアから南に約80kmの、アドリア海に面するこの小さな田舎には、当時でも最大級の塩田がありました。塩が自分たちの命綱であったヴェネツィアにとっては邪魔な存在でした。ここでヴェネツィアは戦争を申し込み、制圧することに成功します。国益のためなら、なんでもするのが当時のヴェネツィアでした。
 また自国では塩以外生産するものがないので、ヴェネツィアは今でいう商社のような役割を果たすことで、国益を守りました。ヴェネツィアは東にも西にも通じやすい場所に位置していました。ヴェネツィアは東から持たされた絹製品や胡椒などを他のイタリア各都市などに売りさばくことで莫大な利益をあげ、国力をどんどんとあげていきます。

国力のためなら、ダメと言われたことでも全力でやる

 ヴェネツィアが交易で扱ったのは、モノだけではありませんでした。人、つまり奴隷も扱いました。当時ヨーロッパでは今のアジアのような爆発的な人口増加をしていました。カトリック(また機会があればカトリックについてもまとめます)では奴隷貿易を禁止していましたが、ヴェネツィアは半ば無視をして貿易を進めます。奴隷は売られ、その利益で宝飾品などを購入し、それらをヨーロッパ諸国に利益を上乗せして、さらに莫大な利益を得ました。こうしたヴェネツィアの新たな敵は海賊でした。こうした交易品や宝飾品を積んだ船は攻撃の対象となります。ヴェネツィアはこれらを撃退するために海上での戦術強化を図ります。こうしてヴェネツィアは武力でも経済力でも世界一の海上都市国家と成り上がったのです。

ヴェネツィアはアメリカ

 海賊まみれになったヴェネツィアの周辺(アドリア海)に、ヴェネツィアはアドリア海に面する他の諸国(今でいうクロアチアなど)と協力をします。ヴェネツィアがそれらに港や水夫、食料などを与える代わりに、アドリア海の警察として、海賊を取り締まるような、協定を結びます。アメリカの安全保障に対する考えとそっくりです。
 こうして周囲と協力をしながら、めきめきと力をつけていくヴェネツィア。経済が豊かになり、人々の生活に余裕が生まれるようになると、”芸術”が発展するようになります。金持ちが絵や壺などを欲しがる理屈と同じです。次回は、芸術の面からみたヴェネツィアの繁栄について迫ります。
 ご覧いただいてありがとうございます。次回もよろしくお願いします。


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