プレゼンテーション1-1

芸術から読み解く、ヴェネツィアの繁栄期

こんにちは。Naokiです。
前回はヴェネツィアがどのように繁栄していったのか、また安全保障についてまとめました。ところで、最近本屋をのぞいてみると、美術特に西洋絵画にフォーカスを当てた本が増えてきました。上野ではフェルメール展が開催され、話題になっています。今回はヴェネツィア最盛期について、美術の観点から読み解いていきたいと思います。

キリスト教世界の敵イスラムと仲良くしたヴェネツィア

 当時オスマントルコ軍というイスラム勢力が力を強めていき、ヨーロッパ諸国を恐怖に陥れていました。キリスト教の聖地エルサレムはイスラム勢力の支配下にありました。(エルサレムはキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の一神教の聖地でした。)ヨーロッパ諸国はこの聖地奪還を目指して、イスラム勢力と全面的に戦うことを決め、国の枠組みを超えて、軍隊を編成しました。これが十字軍です。


 そんな中ヴェネツィアは資源も乏しく、人口も少ないので、イスラム勢力と戦うのは、どちらかというと反対派でした。そこでヴェネツィアは考えました。それは芸術を用いた外交戦略です。


 キリスト教世界では、ルネサンスと呼ばれる芸術改革が起こりました。しかしイスラム教世界では決してこうした芸術改革は起こりませんでした。そしてこれからも絶対に起こらないでしょう。それはなぜか。


 ”偶像崇拝”がキーワードとなります。一神教(日本のようにたくさんの種類の神は存在せず、神は唯一無二の存在であると考える宗教のことです。)では神は人間が想像することができない存在と考えられます。だから神を絵で描くことや像を作ることは絶対に許されないのです。今でもユダヤ教とイスラム教は厳格に、この偶像崇拝は禁止されています。(キリスト教については後述します。)芸術の基本は、何かを表現することです。だからイスラム世界では芸術は発展しませんでした。何かを絵などで表現してしまうとそれを神と考え、信仰の対象になってしまう恐れがあるからです。


 当時オスマントルコ軍では、大量の兵士で攻め込むという手段を取っていました。それを指揮するリーダーが必要になるのは当然のこと。次第に有能なリーダー(イスラム世界では”スルタン”と呼ばれています。)の存在が不可欠になってきました。またそのスルタン自身も所詮人間です。偉大な功績を残したのであれば、その偉業を後世に残すために、一流の画家に自分の顔を描いてもらいたいと思うのは当然の心理です。ヴェネツィアはここに目を向けました。イスラム世界には芸術家が存在しません。そこで、ヴェネツィアは外交として、芸術家をイスラム世界に派遣し、スルタンの絵を描きました。これによりヴェネツィアは外貨を得て、経済が発展していきました。かつイスラム勢力からの攻撃を受けずにどんどんと繁栄することができました。経済が豊かになると芸術も発展していきます。ヴェネツィアでは画家が多く誕生し、ヨーロッパ各国から絵を学びに、ヴェネツィアを訪れるようになりました。レオナルド・ダ・ヴィンチもそのうちの一人です。

 ちなみに、キリスト教ではイスラム教やユダヤ教とは異なり、偶像崇拝は厳格に禁止されていません。キリスト教の本拠地、イタリアのローマで、キリスト教が興る前に信仰されていた多神教の神々の像が発見されました。この像は人間の姿をしていました。この発見により、神は人間と同じ見た目をしており、顔を持つ存在と考えられました。こうなると、一度でいいから自分たちが信仰する神の顔がどんな顔をしているのか見てみたいと感じるのは当然のことです。これにより、キリスト教での偶像崇拝は、形式だけで意味を持たなくなりました。これを機に、イエスキリストを描いた作品などが爆発的に流通するようになりました。

 今回は美術をテーマにヴェネツィアをまとめました。次回は一旦ルネサンスについてまとめてから、再度ヴェネツィア絵画に迫りたいと思います。
 ご覧いただいてありがとうございました。

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