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平成と揚げパン【エッセイ】

揚げパンって今でも給食の献立であるのかな。コッペパンを油で揚げて砂糖をまぶしてあるやつ。

古い記憶、名前も思い出せないんだけれども当時揚げパンが大好きだった校長先生がいたことを私は覚えている。校長先生っていう立場だから全校朝礼では生徒に向かって長めの講釈をたれるわけなんだけど、彼には昔話をし始めると途端に道徳的な話から脱線するクセがあった。

例えばさ『戦時下では畑から芋を盗んで飢えをしのいだ』だとか、『農家の人が追いかけてくるのを必死で逃げてまいたんだよ』とかを急に語り始めるのだ。

そうなると周りの先生達はそわそわしだす。そりゃあ『人様のモノを盗んではいけないよ』とさっきまで説いていた人が昔話とはいえ、畑で芋泥棒していて、そこから逃げだすまでの経緯を揚々と朝礼で語りだしているのだから仕方がない。生徒に示しがつかないからね。でも校長先生が悪かったわけじゃないと思う。少なくとも彼の記憶に残る昭和の初期はそういう時代だったんだろう。それを昭和の終わりに語った。それだけだと思う。

私は揚げパンをそれほど好まなかったが、その校長先生は揚げパンを特別な想いで愛していたんだ。ある日「コッペパンはすぐに硬くなるが揚げパンはいつまでも柔らかくて甘い。もし揚げパンが献立の日にお休みのお友達がいたらぜひ届けてあげて欲しい。」そう語っていた。当時はピンと来ていなかったが記憶には残っている。なぜかと考えた時、それは人が人として発した本音の言葉だったからだと気付いたのはだいぶ後になってのことだった。

そんな様子を校庭側から眺めていた私、当時は小学生だったわけだけど、今はもう40歳のおっさんである。今年、平成31年という特別な節目を目にして『昭和生まれだけど人生の約八割は平成の世を生きたのか』と今更ながらに気付いて感慨深くなった。大した人生を歩んだわけでもないけれどもそれでも見た景色というものは目まぐるしく変化し、その度に価値観が変わってきた。その時代何が変わって何が変わらなかったか。それを語ることができるのはその時代を生きた人間だけだと思う。だから市井の人として発しよう。

私たちの世代は世間一般的に失われた世代なんて呼ばれている。バブル景気なんて平成に入って早々に崩壊していたから大した恩恵もなかったし、高校生の時には阪神淡路大震災が起こった。大学受験を乗り切って、貧乏学生時代を過ごし、やっとこさ社会に出るときには空前の就職氷河期が待ち構えていた。いま多くの企業で我らの年代の層がすっぽり抜けているのだという。そりゃそうだ。どこも就職採用していなかったのだから。

と月並みに状況を書くと悲惨な感じに見えるのだが、いやいやちょって待ってほしい。本人はどっちかというと幸せな人生を歩んでいるつもりなのである。そうだ、使い古された話なんてのはやめてどう生きてきたのかを語るのが大切だ。

それは評論家が発する様な分析の言葉ではなくて、人が人として生きた形跡を話さないといけないよね。

私は私の揚げパンの話をする。

さあ、まずは大学時代から話そうか。お金はなかったけれども幸せな時間だったよ。私は学生寮暮らしをしていたんだけど思う存分に楽しんだ。思い出?そうだな、むさくるしい男子寮だったんだけど、大学からの意向で途中から一部の建屋を改築して女子寮ができることになったことは大きな出来事だったと思う。それだけ男ばかりだった学部に女子学生が増えたんだね。それも時代の流れだった。
私達は大いにわいた。嬉しかったんだね。だけれどもその代わりに寮食堂が潰されることになってしまった。食堂の建屋を女子寮に改築し直したんだ。そこはショックだった。食堂のおばちゃん達とは仲が良かったから、建屋解体の折には宴会を催して馬鹿騒ぎをすることにした。OBにも連絡を入れたら『え?あの食堂なくなっちゃうの!そりゃ行かなきゃ』ってことでたくさんの先輩達が遠方より参加してくれた。結果として200名を超える夜通しの宴会になったよ。今から思えば一つの節目だったな。

女子寮ができたその後?残念ながら彼女はできなかったけれども、何かしたい時に声を掛ければわらわらと男女問わず集まるそんなコミュニティが生まれたんだ。『学祭で店出すぞ』『カラオケ行くぞ』『バイトで人手が足りないから誰か来い』理由も目的もなんでも良かった。若かったから元気だけは有り余っていたんだね。

ただ一つ困ったのはもともと男子寮だったから変わった慣習もあって、例えば新入生が入ってきた時には京都へストリップ劇場に連れてゆくというイベントが毎年の恒例行事としてあったんだ。けれども、女子寮ができた手前そんなイベント告知を公然と目に触れさせるわけにはいかないよね。苦肉の策として『京都お寺巡りツアー』と名前を変えてお報せボードに掲示、男の後輩だけを連れてゆくことにしたんだけど、すると「京都のお寺大好き、私も行きたい」とか言ってついて来ようとする娘が出てきたんだ。予想外の展開だった。あの時は苦し紛れに「男の修行の場だから女人禁制である」とか言って必死に追っ払った。

就職活動、あれは大変だった。就職氷河期で企業の門戸が極端に狭いのもあったんだけど、それよりなによりネットを通じてのエントリーが増えた時代だった。皆こぞって学校のPCを使って企業に履歴書を送った。私含めてそれまではネットに疎かった人間が否が応でもインターネットの世界に接してしまったんだ。ネットとの出会い。

あれが失敗だった。それまでPCに触ることのない生活をしていて、いきなりネットの世界に触れてしまったもんだから耐性がない。就職活動そっちのけでネット小説を読みふけるなどの活動がメインになってしまった。まあ不採用を通知する"お祈りメール"の文章を読んでいるよりは精神衛生上は良かったんだろうけど、真剣に就職活動に専念する人には申し訳ないほど適当だった。よくあの状態で採用してくれる企業がみつかったものだと自分でも感心する。

結局その企業とは肌が合わず3年程度で離職してしまったんだけど、そのこともある意味感謝している。『思い切って転職するという選択肢が働く者には残されている。』そのことを知れたのは非常に大きかったように思う。
これは転職したことがあるものなら誰でも感じることができる肌感覚だ。企業、もっと言えば業界が変わればの話なんだけど、それまで拘束されていた業界の常識なんてところ変われば呆気なく霧散する。以前の常識や慣習なんて全く気にしないで生きていても何ら問題はないという事実に直面するんだ。

どんな大きな業界でも極端に言えば狭いのである。

転職してからの10年もこれまた激動の時代だった。
調子よく働いていた時に起こったのがリーマンショックってやつでさ、海の向こう側で起きた金融危機が世界中を襲ったんだ。すると嘘みたいに次の日から売上がどっと落ち込むんだ。みんな色々手を尽くしたんだよ。でも社会情勢の前ではそんな努力は塵に等しかった。

さすがに不安になってさ。父にこんな時はどうしたら良いんだと相談したら即座に「サラリーマンなんだからじっとしてたら良い」という短めの答えが返ってきた。その時は役に立たない父親だと思ったけど、どうしようもない時はジタバタしないってことも生き残る為の一つの手であることもこの時に知ったのだった。

そして2011年3月11日、東日本大震災が起きた。あの時の衝撃は今でも正直に言って心に受け入れられない。現地より遠く離れた関西で体験してもそうだったのだから現地の人はどうだったのだろう。私は報道で流れる映像に立ち尽くした。天を仰ぎ祈るしかなかった。それほど凄惨な被害をもたらした。今でも夢に出てくることがある。

それでももう8年経つんだ。

こう話すと『過去のことにしてはいけない』との叱責を受けるかもしれないがそう書くには理由があるから許してほしい。なぜなら私が一番身近に接している家族、愛する子供たちは既にもうあの震災を知らないのだから。だって彼らは震災後に産まれた新しい命なのだ。私達が第二次世界大戦の恐ろしさを肌で感じられないのと同じくあの子達はあの震災を同じ国に暮らしながら知らずに生きているのだ。いずれ昔話として聞くことになるだろう。

もしかしたら教科書で知ることになるかもしれない。その時私たちは彼らに伝えなければいけないんじゃないかな。それこそ私たちそれぞれの言葉で。決して道徳的な話に収まらなくてもよいと思う。

私ならこんな話をするだろう。例えば私が体験した物語を。

あの日、東北から出荷された3,000個の荷物が音信不通になってしまったことを。契約書通りに商品を納められないことをただ連絡するだけの日々を過ごしたことを。あの納期にやたら厳しい役所や大企業が何も言わずに待ってくれたことを。一か月後奇跡的に荷物が無事に見つかったことを。それでも道路が封鎖されていた為届けることができない事実を。最終的に救援物資を送り、空になった荷台に商品を詰め込み持ち帰ってきたことを。それを一つ一つ連絡し送り届けたことを。次の年も同じ注文を受けた喜びを。それが今も続いているありがたさを。

被災した人も被災していない人もそれぞれ自分の持ち場で歯を喰いしばっていたんだ。震災の時だけじゃない。ずっとそうしてみんな生きてきたんだ。
そしてそれぞれの暮らしの中で時に手を差し伸べてお互いに助け合ったんだ。

凍える人には毛布を、空腹の人には食べ物を。

昭和の時代、揚げパンがごちそうだったことがある。
『コッペパンだとすぐに硬くなるけど揚げパンはいつまでも柔らかくて甘い。届けてあげて欲しい。』

その時できうる少しでもあたたかいことを次の時代に届けたいよね。平成の時代でも同じだ。その次の時代も。

長々語ったけれども私が伝えたいのはそれだけなんだ。

#エッセイ

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