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雑踏の写真展【エッセイ】

大阪は難波の喫茶店で、一杯のアイスコーヒーを飲んだ。
昨日そこで私は一人ぼんやりと、店の壁にあたる光を眺めていた。
光源は店内設置のプロジェクターからのもので、そこにはネパールで撮影されたであろう写真が投影されていた。

店内はとても賑やかだった。周りのお客さんたちはみんな笑顔でおしゃべりをしている。場が明るいというレベルを通り越してうるさいぐらいだ。何かここでは静かにしている方がマナー違反だといわれそうな雰囲気。
でもしょうがないよね。

だってその喫茶店の場所はお笑いの聖地、なんばグランド花月の一階なのだから。雑踏の中にある喫茶店。ここに来る人はみんな笑いに来ているんだ。

花のれんタリーズ なんばグランド花月店。
私はここに幡野広志さんの展示写真を見に来ていた。

今、ほぼ日のサイトで連載されているネパールでの旅の記録を一部展示しているということなのでちょっと覗きにいこうと思ったのだ。

でも笑っちゃうんだけど、結果として写真はあまり見れなかった。

いや、遠目から喫茶店内の壁際に数点の写真が展示されているのは見えるんだけど、驚いたことにというか当然というべきなのか、その展示写真の前でどういうことか腰を据えてお茶を飲んでる人たちがいるんです。

え、、写真が見えない。

私は壁に架かっている写真を近くで見たい。でも目の前には楽しそうにお茶を飲んでおしゃべりしている先客がいるんです。状況わかりますか?
当たり前です。だって喫茶店ですからね。注意しようにもどう考えても目の前のお客さんの方が正しいんですよ。

想像してみてください。その状況で『あの、写真が見たいんでちょっとだけよけていただけますか』って言えますか?
言えないですよね。アイスコーヒー片手に店内をいつまでもウロウロしている私の方が圧倒的に間違ってますから。

想定外。

思わぬカウンターにちょっと意識が遠のきそうになったんだけど、おちついて店内を見渡すと穴場があることに気付いた。そして話ははじめに戻る。

プロジェクタから壁に投影された映像が見える席、そこだけは男一人がぼんやりアイスコーヒーを飲んでいても許されそうな場所だった。少なくとも私はそう感じられた。そして吸い込まれる様に席に座わった私は壁に映った光を眺めていたんだ。

スライドショー形式でネパールの街の様子が流れてくる。

雑多な街並み、電線でぶつ切りになった空、甘そうなミルクティー、クリッとした瞳の少女、クリッとした瞳のオジサン、乾いた小魚。切り取られた世界は一見静かなんだけどよく見るとにぎやか。

そんな映像を何周か、ぼんやりと見つめた。カラーの映像なんだけどどこか昭和の時代の映像を見たような感覚におちいった。祖父母の家に置いてある古いアルバムの中にある世界。それが色付きで映し出されている。そんな感覚。

コーヒーを飲み終わる頃、隣の席の人から声を掛けられた。「兄ちゃん、さっきからなにを眺めてるんや?」

大阪では不意に話しかけられることがある。若い時は驚いたもんだけど今ではもう慣れっこだ。「えーと、写真。ネパールの雑踏かな、、」とだけ私は答えておいた。

そんな回答に隣の質問者は不思議そうな顔をしていた。

ふと、、

この店内にいるお客さん達は吉本のお笑いを目当てに待ち時間として利用する人が多いだろう。だったらここでは幡野広志さんの『は』の字も知らない人が多いのかもしれないなと思った。

だったらこの人の反応もうなずける。

そしてそれはネパールでも同じかと思い至った。映像の向こうのクリッとした瞳の少女も、クリッとした瞳のオジサンもおそらく幡野広志さんの『は』の字も知らなかったことだろう。

そういう私もネット上での幡野さんしか知らない。そんなものは知った内にも入らないだろう。

だからこの空間は幡野さんがつなげた世界であるにもかかわらず誰も幡野さんを知らない世界とも言える。たまたま立ち寄った喫茶店のお客さん達と撮影現場の被写体の人々、誰も幡野さんを知らないのである。でも両方幡野さんが選んで結びつけた空間。そこには幡野さんが感じとった面白さがあるのだろう。共通点はゴチャッとした雑踏とも云うべき人々の息づかいかもしれない。

そう考えたら、何だか急に喫茶店内の雑踏と幡野広志さんの撮影したネパールの雑踏とが混じり合い、溶けあった様に感じられた。

そう見えたんだ。

一杯のアイスコーヒーを飲み終え、店外に出た。そこは喫茶店内よりも更にゴチャッとした雑踏の中だった。外国人観光客が増え、多国籍な言語が飛び交う喧騒の街、難波。梅雨の影響で湿気を含んだ空気だったが何だかいつもよりも心地良く感じられた。

私の身体も雑踏の中に溶け込んでいったのかもしれない。

#エッセイ #幡野広志

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