切符をチョッキン【エッセイ】
はじめて遠州鉄道に乗った話なんだけどね。
本日、私は静岡へ出張だったんだ。関西から名古屋駅を通過し、豊橋駅を越えさらに浜名湖が見えてきたらもうすぐそこは浜松駅だ。新幹線から降りると、私は徒歩で新浜松駅へと移動した。
発券機で切符を購入してさ、いざ改札を抜けようとしたんだ。するとね、驚いたことに自動改札機がないんだ。いやICカードのリーダーは設置されているのだけど、紙の切符を投入するお馴染みの改札機が無いのだ。
一瞬ひるんでしまったが気を取り直し、改札を抜けようとすると駅員さんが笑顔で切符をチョッキンと切ってくれた。
切符を切る音が私の耳に届く。
「あ、」私は少し声を出してしまった。遠州鉄道のちょうど"鉄道"の文字の部分がコの字型にくり抜かれたのだ。別になんてことはないことだったが私は衝撃を受けた。遠州鉄道に乗ったのは今日が初めてだったが、切符をチョッキンと切られるという行為にある種の懐かしさを覚え、言い過ぎかもしれないがノスタルジックと言っても良いような錯覚に陥ったのだった。
もう一度切符を見返す。バックには遠州鉄道の電車が写り込んだ。初めて見るデザインの電車だ。そして、やはりここは初めての土地であることを改めて思い知らされる。でも懐かしい。
縁もゆかりもない土地で不意に郷愁感を得る。『あった、あった。子供んときは近所の駅もこうだった。』といった感動。
これはとても贅沢なことだと思った。世の中には懐古を意図としたイベントや店舗があったりするが、言っちゃ悪いがそれは作り物の世界なんだよね。悪いことではないがそこには魂のようなものが抜け落ちているんだ。
でも過去からの延長でその文化が生き残っている場合、何気ない仕草に魂を感じるのだ。その駅員さんからすればいつもの日常。私からすればそれは失われた過去の日常。
出張というちょっとした旅で交錯する体験。確かにそこで過去と今が限りなく近接したことを切符をチョッキンと切る音が私に知らせてくれた。
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ここのコメントを目にしてくれてるってことは最後まで読んでくれたってことですよね、きっと。 とっても嬉しいし ありがたいことだなー