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自分ごと化の本質的な定義とは何か?

以前ある企業でファシリテーションをさせていただいている中で、考えたことがあります。

それは・・・

「自分ごと化の本質的な定義とは何か?」

です。

「あの人は、自分ごと化していない」とは、よくある批判かと思います。

「自分ごと化」していると、何かしら主体性があって、責任感があって、その状況を引き受けているような感覚がありますし、逆にそうでない人はそれらがないという感覚はあります。


ただ、だからと言って「自分ごと化しろ!」と言ったところで、言う側も言われた側も、どうすることが「自分ごと化」することに繋がるのか、実はわかっていない人は多いのではないでしょうか?

私自身も、責任感と当事者意識の違いはこれまでに整理していましたが、自分ごと化だけは、正直なところ、ぼんやりとしていたのです。


そこで今回「自分ごと化」も含め、それぞれを以下のように定義しました。

責任感:
「ある特定の役割を担う人が持つ、道義的な思想、合理的な判断、利害感情のいずれか(もしくはいずれも)に影響されて醸成される意識」

当事者意識:
「自分がある事象の引き起こし手であるという自覚を深い実感を伴って持っている状態」

自分ごと化:
「その対象を自分の人生にとって大事なこととして捉えていること」


上司が部下の体調不良が気になっているというケースを例として、それぞれについて簡単に解説したいと思います。

まず、責任感はある役割を負った時点で何かしらの影響を状況に対して与えてしまうので、それに対して対応しようとする姿勢です。
その役割を負った時点で、やりたいかどうかに関わらず、「やるべきこと」として関わることと置いています。

なので、上司が部下の体調を気遣うというのは、休んでいる人がいると仕事が進まなくなることから「役割上」そうしているケースもあり、別にそうしたくてやっているわけではないということはありうると思っています。

次に、当事者意識ですが、これはシステム思考でいう「フィードバックループが閉じた状態」であり、U理論でいうレベル3:センシングに到達した状態だと捉えています。

部下の体調不良のケースで言えば、例えば、上司が役割上の責任感から、「体調管理も仕事のうちだ。気が緩んでいるのでは」と言ってしまったりすることが、当事者意識からくるものだったりするのです。

自分の発言によって、部下がどのような気持ちになってしまうか、どれだけモチベーションが下がってしまうのか、その引き起し手として深く実感できない。
「責任感があるけれども、当事者意識がない」という状態になってしまうことがありうるのです。

つまり、当事者意識は、人間が持つ認知システム上の限界を超えれるかどうかにかかっています。

これに対して、上司が部下の体調を「自分ごと化」しているというのは、例えば、「部下が心身ともに健康で活き活き働いている状態を作りたい」というその上司の個人的な人生観、価値観によるものではないかと思います。

それを気にしている側の人にとって、その対象がその人の人生にとって大事なこととして見えていればいるほど、「自分ごと化」の度合いが高まるのではないかと思います。

特に、それが「恐れ」から来るものではなく、「愛」から来るものであればあるほど、その質はより高まるのではないでしょうか。

つまり、「自分ごと化」の質を高めていく上で、究極的に問われるのは死生観ということになります。
自分の死生観が極められていればいるほど、利他的な視点で「自分ごと化」できるのではないかと思います。

         
あなたが今、本当に『自分ごと』として捉えたいことは何ですか? 


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