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たまには仕事以外の話を。アメリカンスクールを紹介してみる。

小学校6年間をイタリアで過ごし、内5年間はアメリカンスクールに通うという特殊な体験をしているので、その辺りを少しご紹介。

アメリカンスクールというと、

金持ちばかりで、セレブな学習・生活環境が整っているような印象

を持たないだろうか。
アメリカの映画のように、高級車でパーティー三昧みたいな。

私自身、日本のアメリカンスクールに対しては、中身を全く知らないが、勝手にそのような印象を持ってしまっている。

ただ私が通っていたのは、イタリアのミラノにあるアメリカンスクール。
そんな感じかというと、そういう要素もあるにはあるが、もっとだいぶ雑な感じ。
イタリアは車の免許が日本と同じ18歳からなので、アメリカのように16歳の高校生が車を乗り回すことはできない。
バイクに乗っている人間が多かった。

街はミラノ。
広大なアメリカとは違ってとても小さい街に、歴史とモダンと遊びと全てが詰まっている。
せいぜいそこで集まってグダグダするぐらいしかやれることもあまりない。

学校はというと、校舎は古くて汚かった(この記事を書くにあたってWEBサイトを見てみたら新築されていてめちゃくちゃ綺麗に!!びっくり!!)。
アメリカ人が4分の1ぐらい、現地イタリア人も4分の1ぐらい、その他多国籍。
お金持ちなのは現地イタリア人(これは半端じゃないお金持ちが多かった)で、アメリカン人や私も含めて転勤族の殆どは会社の補助を受けているため、そこまで裕福ではなく、セレブ感は限定的。

そもそもイタリアという雑な国(良い意味で)にある学校なので、規律正しい日本に置かれる学校とは、根本で少し違うのではないかという気がする。
ただ日本のアメリカンスクールには一切行ったことがないので、実態は分からない。

さて、今思うと特徴的だったなと思うことをご紹介していく。

校門に銃を持った警備員と装甲車が常駐

真実は知らないが、恐らく理由は以下2点。

  1. お金持ちが多いため、誘拐等のリスクへの対処

  2. 私が在籍していた1991年~というのは、湾岸戦争がちょうど終結したぐらいで、西側諸国の警戒感が強く、要人や米軍の家族が通っている学校ということもあっての対処

そもそもあれは警備員だったのか、あるいは警察だったのかもしれない。
常に門の前に二人が銃を構えて立っていて、装甲車がその隣に停まっていたのを覚えている。

当たり前の光景になっていたが、今考えると結構怖いかも。

人種のるつぼ

上下関係が存在しないので、学年を跨いで一緒に遊ぶのが当たり前。
ミラノ3というこれまた特殊な街に住んでいて、ここに住む同じ学校の人間とよく遊んだ。

・アメリカ人(同級生の親友、ローラーブレードを履いて爆竹を投げて遊んだ、毎週末お泊り会、金髪イケメンで一番モテた)。
・イタリア人(同級生男子、超が付くイケメン、大金持ちの息子で双子)
・シンガポール人(同級生女子、イケてる組のリーダー的存在、上のアメリカ人とイタリア人とも付き合ってた)
・韓国人(同級生女子、私が最初に好きになった子、一瞬だけ付き合うことができた)
・スウェーデン人(同級生女子、3学年ぐらいを跨ってのアイドルでモテモテ)
・カナダ人(一つ上の男子、ファッションとか音楽とか何でもスタイルがめちゃくちゃかっこよくて真似した)
・フランス人(一つ上の女子、明るくて超社交的、男子に媚びを売るので女子との喧嘩が絶えない)

一学年40人ぐらいしかいなかったと思うが、その規模でもアメリカ映画同様にしっかりとスクールカーストがあった。
持ち前の気の強さで、イケてる組には入っていたが、全くモテなかった。
見た目のせいにしてはいけないが、アジア人が欧米集団でモテるのは簡単ではない。

現地人以外は皆転勤族なので、基本的には数年でいなくなってしまう。
毎年遊ぶ友達が変わっていた気もする。
同じ学年に日本人はいなく、一つ下には一人いたが、全く遊ばなかった。

学校に行くとまたいろんな人間がいた。

・イスラエル人(同級生男子、身体が大きく超優しい、しょっちゅう背中に飛び乗っていた、バスケ仲間)
・イタリア人(同級生男子、超金持ち、2学年上のお兄ちゃんが不良でよくいじめられた)
・インド人(同級生男子、秀才で勉強もスポーツもできた優等生)
・ベネズエラ人(同級生男子、学年のリーダー的存在だったが、仕切るところが嫌いでよくケンカした)

こんな環境にいたので、外国人に対する偏見が一切ない。

5年、3年、4年の一貫校

私が5年生の時にミドルスクールという制度に変わり、Elementary(小学)5学年、middle(中学)3学年、high(高校)4学年になった。

元々は日本同様に、Elementary(小学)6年、junior-high(中学)3年、high(高校)の3年だった。
何故急に制度が変わったかは分からないが、6年生から私は中学生になった。

とてもややこしいが、アメリカは9月から1学期が始まる。
小学校1年でイタリアに転勤した私は、最初は現地の日本人学校に入学し、2年生の1学期を終えてアメリカンスクールに転校した。
このときに、2年生に編入するか3年生に編入するかという選択肢があった。
2年生に入ると、学習が遅れてしまう懸念から、半年分飛び級して3年に入ることになった。
なので、6年生になったときは、日本ではまだ5年生だが、早くも中学生の分類になった。

飛び級、落第

小学校でも飛び級や落第がある。

小学校3年生のときに勉強についていけないということで落第した友達がいた。
逆に私は算数だけ得意だったので、算数だけ1つか2つ上の学年に飛び級した。
同じ算数のクラスには3学年落第した子もいて、私の隣に座った。

割と普通なことなので、それに対して変な目で見られることもなかったと思う。

恋愛系が早い

3年生、4年生ぐらいから早くも周りではお付き合いが始まるし、女子によるイケてる男子の取り合いが起きる。

どっちとも仲の良かった私はよく相談相手にされた。
あいつが好きなのは誰なんだ?とか。
あいつはどんな女が好きなんだ?とか。
力になってあげると、ホッペにキスされた。ズルい。

バレンタインデーは、日本のように女子から男子ではなく、お互いに気持ちを伝えあう日。
学校では生徒会がバラのプレゼントを企画。
事前に申し込んでおくと当日に指定した相手にバラを届けてくれる。
告白というほどでもなく、好きだよとただ伝える。義理みたいなのはあまりなかったと思う。
モテる男女にはバラがどっさり届いた。

まだまだあるが、長くなったのでまた次回。
次回は学校で開催されたイベントや部活動について話してみようと思う。

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