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さよなら、ばあちゃん。

3ヶ月ぶりに見たばあちゃんは、穏やかな顔で目を閉じていた。その目はもう二度と開くことはない。線香をあげ、席につく。親族のみでひっそりと通夜は行われ、終わる頃にはすっかり寺は暗くなっていた。

「ばあちゃん、また明日来るね」

父の運転する車に乗り込む。母親を亡くした父は、いつもより口数が少なかった。雨のなか、実家に着いた。ばあちゃんの部屋には仏壇が置かれる準備がされていた。ばあちゃんのベッドも炬燵も炬燵も既に無かった。線香の香りが充満していたが、まだその奥に微かにばあちゃんの部屋の匂いがした。

久しぶりに兄弟を含む全員が実家に揃った。風呂の順番を待つのも億劫なので、弟と銭湯に行った。風呂上がり、つい最近二十歳になった弟と休憩所でビールを飲んだ。

「一緒に酒が飲みたかったけど、飲めなかったなあ」

5ヶ月前、脳梗塞が再発したばあちゃんは、3回目の入院をした。もう長くないかもしれないから最後に顔だけでも見にきてと母から連絡があり、3ヶ月前病院を訪れた。ベッドに横たわるばあちゃんは苦しそうな表情をしながらぜえぜえと息をしていた。腕からは何本もの管が伸び、顔には呼吸器が取り付けられていた。もう話すこともできなくなっていて、目は開いているものの焦点は合っていなかった。それでも耳は聞こえているとのことだったので、ばあちゃんに近況を話した。仕事のこと、友達のこと、パートナーのこと、兄弟のこと、実家の犬のこと。返事はない。それが生きてるばあちゃんとの最後の対面だった。

ばあちゃんの3回目の入院の翌月に弟は二十歳になった。

「話せなくなって、動けなくなったばあちゃんは、もうばあちゃんじゃ無かったなって思う。ばあちゃんの体の箱があるだけだった。今はもう苦しくないといいなあ」

私の心残りはばあちゃんを旅行に連れて行けなかったことだ。1年半前、ばあちゃんと行くために旅行を手配したが、出発の2週間前に倒れ2度目の入院をした。その後退院したが、歩くのが難しくなってしまい、旅行に行くことは叶わなかった。

実家にいる弟は定期的に両親とばあちゃんの見舞いに行っていた。弟から聞いたが、ばあちゃんの遺体は通夜の直前まで実家に安置されていたらしい。ばあちゃんはまだ話せた頃、ずっと家に帰りたいと話していた。やっと家に帰れたんだね、ばあちゃん。

ばあちゃんの遺体が家に着いた途端、実家で飼っている犬が棺に飛びついて大変だったそうだ。どうしても暴れるから2階に犬を連れて行ったら、階段を駆け降りてきたそうだ。犬を飼って8年間、自力で階段を降りたことなんて一度もなかった。ばあちゃんが生きてた頃、犬はばあちゃんの炬燵でいつも丸まっていた。まるで猫みたいだねえ、なんて言いながら、ばあちゃんは犬を可愛がっていた。犬はばあちゃんの亡骸を見て鳴きに鳴いたそうだ。犬にも人の死が分かるのだ。犬も最後にばあちゃんとまた会えて、お別れができたのだろう。

通夜の夜。ばあちゃんの夢を見た。いつものようにリビングの椅子にばあちゃんが座っていて、最近どうだい、と私に話しかける。最近良い感じだよ、弟たちも頑張ってるし、俺たちは大丈夫だよ。そう答えるとばあちゃんは「そうかい、それは良かった」と微笑んでいた。

「今日、みんなを連れて行くね」

ばあちゃんは静かに頷いた。


「それでは故人との最後のお別れです。棺を閉めてください。」

告別式の最後、ばあちゃんの棺に花を敷き詰めた。色とりどりの花に囲まれ、ばあちゃんは安らかな顔をしていた。両親、弟、親戚と一緒に棺の蓋を閉めた。さよなら、ばあちゃん。男性陣で棺を持ち上げ、霊柩車に載せる。

本来なら喪主である父と、母が霊柩車に乗るが、2人とも自分の車を運転する必要があり、私と弟が霊柩車に乗り込んだ。車は慎重に出発し、寺院の敷地を抜け、火葬場へと向かう。

見覚えのある道を車が走っていく。そうだ、ここは免許を取り立てのころ、ばあちゃんを乗せて走った道だ。免許だけは早めに取りなさいと、ばあちゃんが教習所のお金を出してくれた。せっかく免許を取ったのになかなか運転しない私を見かねたばあちゃんは、実家に帰る度に運転を教えてあげるから乗せなさいと口うるさく言われたんだった。昔から運転が好きだったばあちゃんは嬉しそうにああでもないこうでもないと私に教えてくれた。

ばあちゃん、一緒に走ったあの道だよ。ほら、あの文房具屋は無くなってい、今はスーパーになったんだ。あのボロボロだった銭湯も無くなって、ジムができたんだよ。ほら。

ばあちゃん、最後のドライブだよ。
運転教えてくれて、ありがとうね。

ばあちゃんを乗せた霊柩車が火葬場に着いた。ばあちゃんを焼く前に、棺の小窓を開けて本当の最後のお別れをした。「さよなら、ばあちゃん。ありがとう。」

40分後、骨になったばあちゃんが出てきた。火葬炉を開けると、まだばあちゃんを燃やした火がゆらゆらと揺れていた。ばあちゃんの体はすっかりなくなっていて、骨だけが残っていた。二人一組でばあちゃんの骨を拾う。

「これ、なんのボルトだったっけ。大きいねえ」

熊手のような形をした大きなボルトが焼け残っていた。いつの手術のものだろうか。父が懐かしむかのような表情でボルトを見ていた。

「ボルトは骨壷に入れると錆が移ってしまうため、こちらで廃棄するか、別の箱に入れてお持ち帰りいただけます。いかがしますか?」

「持って帰ります。」

父はそういうと大切そうにばあちゃんのボルトを木箱にしまった。
ばあちゃんの骨を全て納め、我々親族は火葬場を後にした。

私は火葬後に東京で予定があり、近くの駅まで父の車に乗せてもらった。途中、公園を通った。私がばあちゃんと野球をしていた公園だ。幼稚園の頃、テレビで野球に熱中していた私に両親がプラスチックのバットとボールを買ってくれた。平日両親が仕事の間、私の遊び相手はもっぱらばあちゃんだった。

「きっとあんたはプロ野球選手になれるよ」

私はプロ野球選手にはなれなかった。それでもばあちゃんは、いつでも私の選択を応援してくれた。どんなときもばあちゃんは私の味方だった。私はそんなばあちゃんの自慢の孫になれたのだろうか。

ばあちゃんはいつも私たち兄弟の自慢を町内会でしていたらしい。その理由の一つは、あまり大学進学率が高くない地元で私たち兄弟は勉強ができる大学にみな進学したからだ。そんな孫をばあちゃんはいつも自慢していた。もちろん、私たちは勉学以外でも運動や人間性でも、真摯で誠実な人間であろうとした。それもばあちゃんは自慢に思ってくれたのだろう。

しかし、勉強ができたとか、運動を頑張っていた、というのはあくまで第三者から見た客観的事実にすぎない。私は、ばあちゃんから主観的に見て、自慢できる孫になれたのだろうか。それは分からない。社会人になってから、恩返しのようなことはたくさんはしてあげられなかった。例え、ばあちゃんにとっての一番の恩返しが私の自立と成長だとしても。私自らの主体的なばあちゃんへの恩返しは、もっとできることがあったと思う。入院してからもお見舞いに何度も足を運べなかった。最期の瞬間に立ち会うことも叶わなかった。

ばあちゃん、俺はいい孫だったのかなあ。

でも昨日の夜、最後に、夢の中であっても、ばあちゃんと話せてよかったよ。ばあちゃんが自慢できるよう、俺はこれからも強くなるね。これからも見守っててくれよ。

「2日間ありがとう、またいつでも帰ってきてね」

駅で父と母と別れた。車が角を曲がるまで私は見送った。私も、弟たちも、父も母も、それぞれの場所へと帰っていく。

さよなら、ばあちゃん。

俺はもっと強くなるよ。ありがとう、ばあちゃん。元気でね。

すっかり秋の涼しさを感じさせる空に、ばあちゃんとの記憶が蘇る。キャッチボール。私が投げたボールをばあちゃんが取る。そして、ばあちゃんが投げたボールを私が取った。このボールは、大切に取っておこう。また、いつか、キャッチボールしようね。


東京に向け走り出した電車の窓の外に見慣れた地元の景色が広がる。あそこも、あそこも、あそこも、ばあちゃんと行った場所だ。

私は目を凝らしてその方角を見ていた。ばあちゃんと私がいた場所を。

すっかり地平線の向こうに見えなくなった後も、ずっと、ずっと、ずっと。

2023年9月某日


最強になるために生きています。大学4年生です。年間400万PVのブログからnoteに移行しました。InstagramもTwitterも毎日更新中!