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奇跡

亡き妻が起こしてくれたか勇気出し訪ねし聖地で奇跡の出会い

※ Facebook投稿の転載

https://twitter.com/kozakaipunks/status/1467082549990412291?s=21

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「名古屋駅に短歌の聖地がある」

初めて聖地のことを聞いたのは、今年の夏頃のこと。前の前の会社で一緒に働いていた同僚が久しぶりに名古屋に帰ってきたので、示し合わせて名駅近辺で夕食を食べることに。お互いの近況などを話している中で、短歌を時々詠んでいる、と話題に出したら、教えてもらった。短歌の聖地、と言ってもカルチャーセンターのような場所ではなく、普通の中華料理のお店らしい。その時は、いつか行ってみようというくらいの気持ちだった。

次に聖地の中華料理屋の話を聞いたのは、今年の夏に3ヶ月だけ通った短歌教室で一緒に学んでいた方々から。長くその教室で学んでいて連帯感を持った人達だったが、それでも一人飛び込んだ自分を暖かく迎えてくれて、楽しいひとときを過ごさせてもらった。でも子供を育てながら参加するのはちょっと厳しいなと思い、未練はあったがやめることにした。最後の日に簡単なお茶会を開いてくれたその場で、話題に上がったのだ。お店の名前は「平和園」というらしい。また少し、聖地巡礼をする機運が高まった。

そしてその平和園を訪れようと決意したきっかけは、今月購入した「NHK短歌」の12月号のテキスト。そのテキストの最後には、平和園を経営しながら短歌集を出した歌人のインタビューが掲載されていた。三度にわたる啓示を得て、これはもう訪れなければならないと決意して、子供たちを預かってもらえる週末に、聖地巡礼を決行するに至ったのだ。

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名駅西口からさらに西にやや歩いたところに、平和園はすぐに見つかった。中は本当にここは聖地なのかと思うほど、普通の中華料理のお店。カウンター席に通されてメニューを見て、餃子と天津飯を頼む。すぐ目の前の厨房では親子のような二人が凄い勢いでオーダーされた料理を作っていた。切れ目ないオーダーに忙しそうにしている二人を見て、今日はお店の雰囲気を見れただけでよしとしよう、とやや諦めながら絶品の餃子と天津飯を頬張っていた。

また一人の、新しいお客さんがやってきた。お店は混み合っていてテーブル席が空いておらず、その人は自分の隣のカウンター席に案内された。オーダーをした後、その人と若い方の厨房の人が二言三言、短歌の話を交わした。そして赤い表紙のノートがお客さんに手渡された。中を開くと寄せ書きのように短歌が書かれていた。NHK短歌の記事に書かれていた、巡礼者が短歌を書きつけるノートだった。

天津飯を食べながら、ふと作戦が閃いた。天津飯を食べ終わったら、まずご馳走様と挨拶しよう。そして、NHK短歌のテキストを見てお店に来たこと、そしてそこに書かれていたその赤いノートを見せて欲しいと頼んでみよう。我ながら実に自然で完璧な作戦を思いついたと、悦に入りつつ天津飯を食べ終えた。そして、いざ作戦を実行することになった。

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作戦通り挨拶をして、お願い事を伝える。するとそこでお店の人から、まさかの一言が。

「隣に座られている方、持ってきたNHK短歌の選者の方ですよ」

その後少しその選者の方とお話ししたところ。お店に来るのは二度目だということ、新幹線の時間があるので食べ終えたらすぐにお店を出るつもりだということ、がわかった。三回目の聖地との出会いでようやく今日来たこと。あんまり早いと誰もいないかもと、近くのビックカメラで少し時間を潰したこと。お店がいい具合に混んでいたこと。全ての偶然が重なり合ってこんな奇跡が起きたんだと、しばし言葉も出なかった。いや、それはちょっとオーバーか。

そして、何かあることを期待して印刷しておいた自選短歌を図々しくも手渡して、リズムが良いこと、気持ちを素直に詠めていることを褒めていただいた。ついでにFacebookで友達にもなっていただいた。

その方がお店を出られた後、この感動を拙いながら冒頭の歌にして、表紙の赤いノートに書かせていただき、ついでに普段は頼まない食後のアルコールを頼んでお店を出たところで、今日起こった奇跡のは終わることとなった。

全く人生とは何が起こるかわからないものだよ。今度は君と出会えるような奇跡を、期待しようかな。

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