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もう一度だけ泣き喚きたい。

感情がやけに落ち着いている。理由は明白だ。きっと何も波風を立てるような出来事がないからだ。誰とも会わず、何の冒険もせず、ただ日々の生活をこなし、暮らしている。
本当は日常なんてどこかに行ってしまっているはずなのに、不謹慎にも、なぜかいつもより心が安定している自分がいる。

とはいっても、自分でいうことではないが、僕は比較的普段から情緒が整っているほうの人間だと思う。あまり怒ったり泣いたりを頻繁にするタイプではないし、嫌なことがあっても結構シンとしている。それは、決して怒鳴ったり喚いたりすることをダサいとか子供だとかそんな冷めた目で見ているのではなく、自分で自分の根っこが頑固なことを知っているので、一度感情に任せてしまうと取り返しがつかなくなるんじゃないかと思ってしまっているからだ。
そういう心の歯止めがあってか周りにも穏やかだねと言われる。すると余計にその型に自らを嵌めにいかなければ、という無意識のずるさが出てしまい、結果的に服装や言動も教科書どおりの「優しそう」になってしまった。どうぶつ占いは一度もやったことがないが多分ひつじとかだ。

そんな生き方をしているので、この前「最近腹が立ったこと」というライオンのごきげんようみたいな話題を持ち出されたときも、何も出てこなかった。このときは本当に何も出てこなかった。だから、後になって何かしらあるだろうと思ったときに、普段は鍵をして閉じてある脳内の「嫌だったことフォルダ」を無理やりこじ開けた。それでも最近の履歴は全然出てこなくて、記憶を辿りに辿った結果、前に付き合っていた人のことを思い出してしまった。
それは、思ったよりも鮮明な形で保存してあった。

今更とやかく言うことではないけれど、思い返せば喧嘩はいくらでもあった。何が原因で?なんてもうこのタイミングで考えたってわからないし、もしわかっても何の意味もないけれど、なぜかどうにも互いに納得できなかったことが二人の間には山ほどあった。

そして、その中には僕が激昂したものもわんわん泣いたものもあった。最初は互いの意見交換みたいな話だったのが白熱してきて、僕は確かにあのとき普段人前に出さないような感情を露わにしてしまった。好きな人の嫌いなところをここが嫌いだと口を滑らして、彼女がようやく謝り始めると、悪いことをしたのは僕の方だったんじゃないかと思えてきて、惨めな自分が嫌いになった。愛の無い自分を認めたくなかった。

結局そんなことを何回か繰り返して、離れた方がいいという決断をしたのだけれど、今思えば彼女は唯一、僕のなだめ方を知っている人だった。
僕が何を言われるのが癪に触って、何が出来ないと落ち込んで、何をすると機嫌がなおるのか、ひとつずつ時間をかけて覚えてくれた人だった。

今、自分がなんでもない感情のままでやっていけてるのはもしかすると、逆にそういう人が側にいないからなのかもしれない。
僕が些細なことで拗ねても大丈夫な人。
苛々を最短ルートで楽しさに変えてくれる人。

平穏でいられることは、素晴らしいと思う。でも、映画やドラマのように自分の情緒をかき乱して、他人の心をかき乱して、そうやって迷惑をかけてなりふり構わず生きていくようなことも、すごく大事なことだと思う。

だから、もしできるなら、僕は、もう一度だけ泣き喚きたい。

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