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Lyrics #65 友と河口にて

一昨日、約束していた友人とようやく一席を設けて、昨日は珍しく深い酒になった。
昨年来の約束の場所は、少し遠いところだったが、日本海の近くの小料理店。店主の釣った魚と辛口の日本酒に、ついつい長居をしてしまった。

しばらく会っていない友人とは、いくら気心が知れていると言っても、空白を埋めるまで、会話は凸凹してしまう。
毎日毎日が人生で、それぞれ互いに知らないいろんなことを重ねているわけで・・・。

その友が悠々としていて、そのさまが羨ましく感じ、そこから酒が止まらなくなった。もうだいぶ弱くなった自分に、さすがに深酒は効いた。

帰り際に友が「もうたぶん20年以上も借りっぱなしだけれど・・・、断捨離をしていたら、出てきたんだよ」と言って、本を返してくれた。
城山三郎の『祖にして野だが卑ではない』(第五代国鉄総裁、石田禮助の評伝) だった。今日、返そうと思い、もう一度読んだと言う。
とても気に入った本だから、今日は奢りで、と言われ、僕は財布をしまい、買ったばかりのように大切にしてくれたその本を受け取った。

そういえば、本を貸し借りする仲でもあった。
その後、もう1軒ということになり、友から愛読書の話を面白く聞いて、0時を回り、翌朝の待ち合わせ時間を約束して、ようやくお開きとなった。

昨日は、友の運転で、店主の薦める漁港付近のすし屋に向かうこととなり、途中、いっしょに野球をしたことのあるグラウンドを見に行こうと、河口に寄ることとした。
日本海の空は晴れているのか、曇っているのか、陽射しは春だったり、また冬のようだったり、河口付近だけ風も強くて不思議な天気だった。

友の近くに、たまたま知り合いがみえて、友と話をしている間、ぼんやり空と川と海を眺めていると、気持ちの中に "いつもの自分" が去来した。

友の姿を眺めつつ、人にいろんな生き方があり、それぞれの人生があり、感じ方があることを、つくづく思い、帰ったらまた忘れず "この自分" を書いてみようと思った。

今日の作品は、そんな流れでスケッチのように書いたもので、特に手直しもせずお届けします。
"いつもの自分" ならたぶん書き換えている言葉もそのままにして。
それがたぶん "昨日の自分" に近いと思うし、この先見返すスナップにもなるものとして。

そして、作品中には出てこない友人を、題名には "友" として付けてみました。お礼の気持ちを込めて。

Lyrics #65 友と河口にて

川の水が緩み その流れ早く
雲の隙間から 降り注ぐ光が
遠くの海原に 差し込んでいて
いつもなら 何も考えず
光をじっと 見つめていると
今の自分に 言い聞かせてみても
・・・
このやるせない思いは
時間への恨みなのか
この胸の苦しさは
何と闘っているんだろう
川面の輝きを見て
臆病を嘆く 集燥なのかと
弱い自分を諭すだけ


白波の立つ 風強い海原へ
つがいのウミネコが 飛び立っていく
冷たい風に戻りつつ 向かいつつ
いつもなら 何も考えず
ウミネコをじっと 見つめていると
今の自分に 言い聞かせてみても
・・・
この込み上げる思いは
条理への嘆きなのか
この胸の苛立ちは
何と闘っているんだろう
海原の灰色を見て
沈黙を嘆く 虚脱なのかと
弱い自分を諭すだけ

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