イェダラスカレイツァ_201905

ひとふで小説|4-イェダラスカレイツァ:バルヴァリデ[IV]


前章:[I]〜[収録マガジン]


IV

「ヴァンダレ様は、どうして魔族を斃せるの?」
 夕闇の奥で黙々と、無垢な亡骸のための火葬と墓につかう穴を掘りながら、シオは尋ねた。
 胸の奥にくすぶる願いとヴァンダレに聞きたいことの本当の意味は「何故あなたは人魔を斃せるか」ではなかったが、シオはまだ己が何を求めて問い掛けたのか自覚的ではなかった。
 ターレデは穴掘りを手伝いながら黙って聞いている。
 ヴァンダレも片腕と足を使って出来る限りの事をしながら答えた。
「必ず斃せるかは分かりません。たまたま今回は勝てました。…稽古を積み、あとは、運を祈るだけです。どんな名手も、下手をすれば死んでしまいます。善戦したとして、やはり相手の数があまりに多ければ無理でしょう」

 今、村人の中に三人を手伝う者がないのは薄情だからではない。それは、魔族の牙爪にかかり残された時間がない相棒たちの亡骸に、せめて、シオが静かに告別できるよう計らったからでもあったし、いつ訪れるとも分からぬ襲来に備えよというヴァンダレの指示に、村じゅうが従ったからでもあった。
 村人たちは一旦家に戻るとシオが火葬に使う薪を各々の家から提供し、骸の側に積み上げてくれた。水気を含まない良質な薪が多かった。弔いだと言って薪を積んだあと暫くの間、穴掘りを手伝って帰る者もあった。
 そうして家々に戻った村人たちは、ヴァンダレに言われた通り刃物のついた農具を納屋から引っ張り出しては、何かのときに穂先が外れてしまわぬよう補強したり、壊れかけた扉や窓枠を修理したり、各々の思う安心を目指しながら過ごした。
 シオの母であるサラは礼に回ったが、山犬と大猫が村の入口を守り続けた姿を見ていた村人たちは皆、口を揃えて、礼を言うのはこちらのほうだと答えた。それにヴァンダレが来るまでの間、先陣を切って加勢し、時間を稼いだのは他でもない、サラであったから。

「そっか…。私ももし、練習したら、戦えるかなぁ…。ヴァンダレ様みたいには、なれないか…」
 ヴァンダレは少し考えたような間を置いて、シオの言葉に応えた。
「シオ、あなたがもし己の手で、村や、何か、誰かを、守ることを望むならば…私が稽古をつけましょう。これも何かの縁ですからね」
 ヴァンダレの申し出を聞いて、シオは初めて自らの心の燃え方に気づいた。彼女のように、誰かを頼らず守りたいものを守りたい、のだ。
「本当?!ヴァンダレ様…!」
「ええ、本当です。でもね、シオ。あなたは真っ直ぐな性根を持っているようだけど、剣を持つのはとても危ないことです。今は大切な子たちを亡くしてあなたの心も昂ぶっているはず。もし、日を改めて、やっぱり怖いなと思ったときは、無理をせず、恥ずかしがらずに引き下がることも人のためです。さっきこの村の皆さんがそうしたように、剣を持った者が私に任せろと躍り出たら信じてしまうでしょう。誰かを背中に庇って生きるのは恐ろしいことだから…」
 ヴァンダレの言葉で冷や水を浴びた気分になったシオは押し黙った。
「とりあえずは一度、稽古をしてみましょう。それからよく考えなさい、ね?」
「…はい!」

 ターレデは平地に暮らす人々と比べると外の世界にそれほど詳しくなかったが、それでも父たちの家業が防具職人であったから物々しい世界の決まりごとについては時折耳にすることがあった。
 たとえば広義に言うところの“剣士”の中には独学で技を磨いた流れ者も居るが、城下町などで呼ばれるところの「剣士」というのは概ね皆、“剣門”という組織に属しているらしい。“剣門”は謂わば、技の故郷のようなもので、それぞれの流派、それぞれの門下で、少しずつ、或いは大胆に、構えや太刀筋から心の流儀に至るまで差分があると聞く。
 剣門によっては、一門を示す紋様を鎧に彫り込んだり、決まった飾り石を兜に着けることもあるようで、注文を受ける父たちと客の会話を聞くうちに、ターレデはそれとなく剣の道の仕組みと、剣門には剣門毎、誇りのようなものがあると識っていったのだった。
 ヴァンダレの身の上は詳しく聞かされていないが、恐らく流しの剣士ではなく、どこかの剣門で技を磨いた剣士なのだろう。佇まいが大国の城下から訪ねてくる同業の者によく似ているし、「稽古をつける」という発想がいかにも誰かに習った風だと思った。

 シオをどんな剣門に預けることになるかを知りたいという身近な大人なりの気持ちもあったが、どちらかと言えば個人的な興味を原動力に、思い切ってターレデは尋ねた。
「ヴァンダレ様は、どの剣門にいらっしゃるのですか?」
 暗闇の奥でよく見えなかったが、恐らくヴァンダレはこちらを向いて、暫くターレデを見つめていた。或いは短い物思いで夕闇のどこかをぼんやり眺めただけかも知れないが、とにかく暫くの間、黙って一方向を向いていた。
「………預けたい剣門が、お決まりですか?もしくは、預けたくはない剣門が…?」
 ヴァンダレは何かを探るような声で、ターレデの問いを避けながら、応えた。ターレデはどうやら自分がまずいことを聞いてしまったらしいことに気付いて、即座に詫びた。
「いいえ。ごめんなさい、物知らずに。…昔よく父たちのお客様の話を聞いていて、皆様、剣門、剣門と仰るから、剣の道の話をするときは聞いて差し支えないものかと思ったんですの。子供の頃、お客様たちに、おじさんはどこの剣門なの?と聞けば、皆様とっても胸を張って、我が剣門こそは〜って仰るんです。だから軽い気持ちで尋ねてしまいましたけれど、決して何かを苦にしているわけではないんです」

 ヴァンダレの影はターレデが弁解を終える頃には動いていて、引き続き穴を掘り進めているようだった。あたりはすっかり夜の闇に包まれて、何事もなかったように虫が鳴いている。虫の音よりもっと手前で踏み固められた土を削る音が聞こえる。
 時折、草叢のほうで何か動く音がしたが、ヴァンダレはまったく動じなかった。なにか、魔族特有の気配があるのかもしれない。ヴァンダレが気にも留めないということは、恐らくあれは無害な動物の音なのだろう。
「…さて。このくらいでいいでしょう」
 ヴァンダレがそう言うと、シオは不思議そうな顔をした。
「どうして?こんなに小さな穴じゃこの子たちが全部入らないよ…」
「…そのまま埋葬するわけではありませんから…。焼いた後に残る骨はそんなに多くありません」
「そっか…」

 ヴァンダレは掘った穴の中に土台となる大きな薪を引きずりながら一人で組むと、今度は小ぶりな薪ばかりを選んで、薪と薪の間の空間を保つようにして器用に並べていった。そこから先は口頭で指示しながらターレデとシオの手を借り、上に向かって大きな薪を使い、低い櫓のようなものを組み上げていく。風が通りやすいよう、所々に、遺体が空間を埋めてしまわないための支え木も立てた。
「シオ、あの子たちの体は、私たちも、…もしくは、あの子たちと面識があったターレデ様だけは触れても構いませんか?それとも、あなたが一人でこの中に納めたいですか?私はここでしっかり守っていますから、どちらでも大丈夫ですよ。一人のほうがお別れしやすいなら、一人でも構いません」
 ヴァンダレはそう言うと、櫓がシオの腰か腹の高さになるかという頃に作業を止めた。高さを作る前に櫓の中に遺体を納める必要があることを説明しながら木枠の仕上がりを確かめていると、元々考えてあったみたいにして、シオは答えた。
「自分で連れてくる…」
 シオはせっせと相棒たちの遺体の断片を櫓の中に納めた。小さな部位は右手と左手に山犬と大猫をそれぞれ。大きな部位は、片方を運んだら、もう片方。
 大猫のものと山犬のものとをそれぞれ分けて納めた臓腑は、解体の段で母のサラに持って来させた葦立草の大袋の中にある。櫓に入れるために持ち上げると隙間から血や体水が滴り、シオは触れている服がぐしゃぐしゃに濡れていくのを感じた。
 ヴァンダレは隣に立っていたターレデに、本当は脂肪の多い部位を巧く配置すれば燃焼が早いことを静かな声で説明した。ターレデが小声で、
「ごめんなさい…子供では長い時間がかかってしまうと思いますが」
 と答えると、
「私もターレデ様に、長い時間が掛かることをお詫びしようと思ったんです」
 と言って、微かに微笑んだ。
 二人は互いに、シオにとって納得のいく弔いにする必要があると囁き合い、頷き合った。

 遺体を納めるだけでも相当な時間が掛かると踏んだターレデは暫く見守っていたが、一旦、支度を整えるため家に戻っていった。危機に瀕した興奮が冷めて、やっと体が肌寒さを、喉が渇きを、感じられるようになったのである。シオとヴァンダレの分も何か持ってくると言うので、ヴァンダレは自分の荷物に入っている、橙木の色に染めた皮袋と、もしも家にあれば木を削げるような小刀を、ついでに持ってきてもらえるよう頼んだ。
 ターレデが去った後もヴァンダレは、地べたに座り込むでも岩に腰掛けるでもなく、真っ直ぐと立ったまま、黙ってシオを見ていた。
 シオは時折、しゃくりあげるようにして泣いている。無理もない、とヴァンダレは思った。

 ちょうど、シオが最後の肉片を櫓に納め、それらの上に山犬と大猫の頭を寝かせた頃、村のほうから少しずつ動いてくる灯りが見えた。煌々と光る松明を携えて帰ってきたターレデは、大きな皮袋を肩に掛けて足早に歩いている。小径を挟む村の家々にも灯りが点り話し声が聞こえてきたが、平時の晩のように談笑が漏れ聞こえることはなく、どこか緊張に包まれていた。
 ヴァンダレは相棒たちの頭を撫でるシオが自ら離れるまでじっと待った。

 遺体の上を覆い囲うよう更に薪を組んだ弔い櫓をまじまじと眺めて、小さく頷いたヴァンダレは、掘った穴の凹凸を足場にして外へ上がり、あたりの林を見回した。
 土手を登って茂みに分け入り、背の低い玉型の樹を見つけると、これだ、という顔をして枝葉を四、五房ほど掴む。掴んだ部分を親株から引き分けて、一言、
「失礼…」
 と呟くと、足で思い切り根元を踏みつけた。まだ水気を含んだ生木を、めきめきと捻じ折る。
「ヴァンダレ様、何をしておいでですの?」
 戻ってきたターレデが少し張り上げた声を掛けると、火を付けるために油分の多い植物を刈り取っているのだと言った。小脇に枝葉を抱えながら林の土手を小股で駆け下ったヴァンダレは、
「この葉は上手に炎を呼んできてくれるのです。村の皆さんの心が籠もった薪も頂きましたから、きっとこの子たちの命をよく燃やしてくれるでしょう」
 と言って、小分けした枝葉を櫓の低い位置に差し入れた。無論、枝がシオの相棒たちの亡骸を傷つけることがないよう、とても気を付けながら。更にターレデが持ってきた小刀の鞘を咥えて払うと、差し込んだ枝葉の近くの薪の表面に切り込みを入れ、幾枚かの薄皮を立たせた。火を渡りやすくする細工である。

 それからターレデに持たせた自分の荷物を受け取ったヴァンダレは、橙木の色の皮袋から小さな酒壺のようなものを取り出して地面に置いた。両足で小壺を挟むと片手で蓋を抜き、選り分けた細い薪の両端を壺の中に浸しては数本溜まると櫓の所々に差し入れる。その一連を不思議そうに見ているシオとターレデに説明を加えた。
「脂です。葉が連れてきた小さな火を頑強な薪が逃がしてしまわないよう、この脂薪で、捕まえて、大きな炎に育てるのです。旅の助けになるので、脂はなるべく持ち歩いているのですよ。勇敢な戦士を見送る炎の番ができるのだから、取っておいてよかった」
 薪を浸す手元を求めるように見つめるシオの視線に気付いたヴァンダレは、手招きして、薪をシオに渡すと黙って壺を明け渡した。

 立ち上がって深く溜めた息を吐く。ヴァンダレも、やっと体に疲れを感じられる程度に落ち着きを取り戻してきたのだ。ターレデが持っている松明に灯りを見たからかもしれない。闇の中で張り詰めた用事を足すことは、どれほど慣れようと、背一杯に荷を負うほど図太く重たい疲労を連れてくる。
 ターレデとヴァンダレは子供の手際に手出ししたい気持ちを優しく抑えながら、シオが薪を浸し終えるのをゆっくり待っている。シオが黙々と脂をのせた薪づくりに打ち込んでいる間、大人たちは林を見回したり、時折夜空を見上げたり、松明の火ごしにお互いの顔を盗み見たりしていたが、やがてシオが作業を終えると、ターレデは松明をシオに渡し、ヴァンダレは最後の確認を行った。
「じゃあ、シオね、あそこの葉にこの火を渡してあげなさい。今晩はいい風です。きっと少しずつ炎が飛び移りあの子たちを連れていってくれるでしょう」
 シオは言われた通り、櫓から顔を出した葉に松明の火を分けた。最初じりじりと燻った火はそのうちとろとろゆらゆらと背を伸ばし、ヴァンダレが小刀で立てた薪の薄皮を焦がし始めた。薄皮は隅のほうから黒くなり、ふくよかに育った火は薪のほうへ薪のほうへ薄皮の根元へぬらりと進んでいく。炎へと姿を変えるとまるで遊びをやめたように櫓の奥へと滑り込み、やがて純白の大猫を包んだ美しい毛皮を撫でるようにして焦がし、山犬の銀に輝く短毛へと渡り、鬣や足先の白と色濃い青鼠のような縞模様を黒一色に変えながら、いくべきところすべてへ辿り着いたようだった。
 ターレデはシオから松明を預かると、石垣のように折り重なった岩の合間に立て掛けた。それから左手でしっかりと隣に立っていたシオの肩を抱いた。
「せっかくだからサラおばさんに頼んで、あんたの家の炉から火をもらってきたの。いつもこの子たちを暖めていた火でしょう」
 シオは自分の肩にかかったターレデの左手を両手で握りしめた。
 櫓全体に広がった炎はまるで相棒たちから命の最後が噴き出すように、燃えた。二体の骸に根を張るようにして薪の間を縫い、橙の夕焼け空より熱く、青く、赤黒く、黄色い透明と、全身を揺らし、伸ばし、震わしながら淡い煙を上げて、この空間だけをいつもの夜から切り離す。シオは時折反り返る骸や、何かが弾ける音に驚きながらも、じっと火葬を見守った。

つづく

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「ひとふで小説」は、何も考えずに思いつきで書き始め、強引に着地するまで、考えることも引き返すこともストーリーを直すことも設定を詰めることも無しに《一筆書き》で突き進む方法でおはなしを作っています。
 元々は、具合悪くて寝込んでいた時に「いつも通りストーリーを練って本腰で働くほど元気じゃないし、長時間起き上がって作画するのは無理だけど、スマホに文章を打ち込めないほど衰弱してるわけでもなくて、ヒマだなー…」っていうキッカケで、スマホのテキストアプリに書き始めました。いつもは構成も展開もラストシーンも大体決めて原稿に取り掛かるので、たまには違う作り方も面白いから、即興で突き進み、溜まったものを小出しにしています。挿絵も、こまかい時間を活用して、ご飯を食べながらとか寝る前にiPadで描いています。
 珍しく無料記事として物語を放出している理由は、今のところ「日常の空き時間に、細かいことは何も考えずに、ちゃんと終わるかどうかもまったく分からずに、勢いで作っているから」という、こちら側の気の持ちようの問題です。(他の無料記事が同じ理由で無料というわけではありません。)

(作・挿絵:中村珍/初出:本記事)