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「〜27年間のジグザグを振り返る〜 元NGO駐在員 柴田康平」

 問題の中に
 未来へつながる
 道がある
 福島正伸

「体育で『教育』を変えます。来月から研修があって世界一暑いといわれるアフリカ・ジブチ共和国でJICA海外協力隊・体育隊員として活動します!」

コーヘー(柴田康平)とは、2018年8月のフィリピンで奇跡的な出会いをしている。(株)エクスプローラ「地球探検隊」海外最後の旅が、隊員ゆういちの家族3人と行ったフィリピン・ドゥマゲテ・ミステリーツアー。そして、コーヘーも学生インターンで8月までドゥマゲテにいたのだ。フィリピンで語学学校を創設した、友人まっつん(松岡良彦)から「学生インターンでスタッフやってくれてます」と紹介された時に言われたのが冒頭のセリフだ。3分ほど立ち話した時の第一印象は、キラキラした目をした好青年。夢を追いかけてると、こんなにも人は輝けるのかと思った。

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今年5月、彼が浜名湖ロータリークラブの講演会で俺の本、「ようこそドラマチックジャーニーへ」を紹介してくれたのが縁でZOOM越しの嬉しい再会となった。ちょうど3月から日本に一時帰国中の準備期間、良いタイミングで対談できた。そんなコーヘーと1回10分、全7回のvoicyラジオ対談、フォローして聴いてほしい。

コーヘーは現存する日本唯一の関所、新居関所のある静岡県湖西市出身の27歳。小学生の頃は、先生の目を気にする少年で、先生に怒られないように過ごした。国語が大の苦手でいつも漢字テストで苦戦していた。その代わりソロバンをやっていたので小6までは算数が得意だった。中学まで理系で、高校で文系に。幼稚園の年長からソフトボールやサッカーに夢中になるスポーツ少年だった。小6の時の担任が体育の先生で「カッコいい」と憧れを持った。中学の3年間は軟式・硬式野球を掛け持ちするくらい野球に没頭し、野球の推薦で高校入学を果たした。高校の3年間は硬式野球部に所属した。

親友から「ボランティア系の仕事が向いている」と言われ、母からは、「人と関わる仕事に向いているから、カンボジアで井戸でも掘ったら」と言われた。その影響もあって、高2の進路相談で「青年海外協力隊になりたい!」というと、先生から「アドバイスすることはありません。自分で調べなさい」と突き放された。進学校にあって、そんなことを言う生徒はいなかったに違いない。コーヘーの中でメラメラと反骨心が芽生えた。

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「青年海外協力隊」という言葉を初めて母から聞いた。また、カンボジアを舞台にした向井理主演の映画、「僕たちは世界を変えることができない。」の影響もあって世界に目が向いた。小学生からずっと好きだった女の子が国際系の高校に進学したことで、「自分も負けずに、そっちの世界に行くぞ!」と自分を鼓舞した。

大学受験に失敗し浪人し予備校へ通うも4ヵ月で辞めて家に引きこもるようになった。そこで母親の一言に救われた。東日本大震災、「あなたの知らない世界を見てきなさい」。そこでボランティアをする小学生の先生たちを見て、「国際協力するなら『教育』の分野で!」と考えるきっかけとなったからだ。足踏み状態の時に放った母親の一言がコーヘーの背中を押して行動を促す・・・息子をとことん信じる力を感じた。

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大学の教育学部に進学するも、周りの学生の進路は日本で教員になろうとする人ばかりだった。そこでカンボジアのスタディツアーに参加した。現地で地雷撤去をする日本人を見て「海外で働くってかっこいい!」と思えた。大学1年と2年の終わりに2年連続カンボジアに行ったことで、海外で教育に関わりたいと強く思うことができた。周りの学生に染まらずに違う道をいくのは勇気のいることだが、自分の直感を信じて動くって大事だ。なぜ、周りと違う道を選択できたのか?自分のやりたいことを素直に話せる友達がいたからだ。いつも励ましてくれる友達の存在は大きい。大学3年ではフィリピンの教育留学でSPEAに学生インターンをした。その後、「フィリピンの教育について考えよう!」というプログラムに参加。行動することで、なりたい自分になっていくコーヘー。

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文部科学省が展開する「トビタテ!留学JAPAN」でフィンランドに旅立った友人に会いに行くと、同世代の学生が自分の興味を持つ様々な研究に熱中する姿に「海外で働こう!」という思いはますます強くなった。当時、フィンランドは学力調査で世界一だった。

日本に帰国すると、軽い気持ちで本屋さんに立ち寄ると、「国際協力師になるために大学生のうちにやっておかなければならないこと」という本と出合った。そこには「日本国内のNPOやNGOでインターンをする!」と書いてあった。大学4年の時、愛知県名古屋市の国際協力NGO、特定非営利活動法人アイキャンでインターンをした。行動指針は、Not “for” the People, but “with” the People.(人々の「ために」ではなく、人々と「ともに」)。現地の人に寄り添って一緒に課題を解決していくことに共感した。

アイキャンで出会ったジブチ駐在員がJICA海外協力隊の体育隊員だった縁で、ジブチの体育隊員の道が拓かれた。フィリピンで学んだ英語がジブチの公用語であるフランス語よりも先に出てしまう。土日を返上してフランス語の習得に励んだ。2018年9月から2カ月間の研修を経て、2019年1月から体育隊員として赴任した。ところが4カ月間、ボスと衝突し現地との温度差を感じ無力感や孤独感にさいなまれて全く活動ができなかった。職員が誰も来なかったのだ。そこでコーヘーは体育のアクティビティをやる前に、難民キャンプの子供支援の活動をしたいとボスにプレゼンし壁を突破、活動ができるようになった。孤独感に襲われる中、自分を客観視できないと壁を突破できない。彼は辛い4ヵ月の経験から自分を俯瞰する力を身に着けたんだと思う。辛いイバラの道が人を一番成長させるのだ。

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難民キャンプの活動を終えて、中学で体育教師をスタートするが、衝撃的な授業風景に絶句した。生徒同士の口論が絶えなくて授業にならない。先生が授業中にお菓子の差入れを持ってきて、授業中に食べるのも、せっかくの好意を無下にもできないと悩み一口だけ食べた。世界一暑い国といわれるジブチで49度を体験した。一番人気は長距離で、しかも距離が決まっていない10分、15分で何周できるかを競い合う。教室にはエアコンはないが、職員室は設定温度18度にしてドア全開。夜も38度の中、水2リットルのペットボトルを凍らせて寝た。「郷に入っては郷に従え」というが、違いを認め現地ジブチの生活に慣れるまでは大変だったろうと容易に想像がついた。JICA海外協力隊の任期2年だが、コロナの影響で1年2ヵ月に短縮され日本に戻った。

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2020年8月から2021年3月までの7ヵ月、ある企業の体育教室で働くも、1か月くらいで「コレは違う。自分の本当にやりたいことじゃない。体育よりも、難民支援なんだ!」と気づいた。2021年3月から再びアイキャンのジブチNGO駐在員として再びジブチ共和国へ。難民キャンプで子どもたちの保護活動を行った。保護活動とは、カウンセリング、家庭訪問、子どもの広場で子供らしく遊ぶこと。思わずジブチを「母国」と言うコーヘーにジブチへの思い入れの強さ、深さを感じた。今、ジブチ・ロスの状態なんだろうな。「体育とは、チームプレーを育むことだけでなく、心のケアをしてこそ体育の価値がある」と現場で確信する。

ジブチ政府、国連機関、ユニセフ、現地職員たちとボランティアではなく、給与や勤務時間などを考えて働くことの難しさに直面した。パートナーとのミーティングでフランス語の会話力の必要性も痛感した。また、難民キャンプの現場で起きていることを涙ぐみながら話してくれた。情勢悪化して隣国イエメン、エチオピア、ソマリア、エリトリアから一日30人も40人も難民がジブチ共和国に来ていても、日本では全くニュースにならないことに、現場を見てきた彼は心を痛めた。なかなか改善されない山積みの問題に苦悩していた。でも一人の力は微力でも無力ではない。時間は有限だが、できることは無限にある。コーヘーに長期戦を闘うためにアドバイスするとすれば、完璧を狙わないってこと。誰だって抜けているところがある。だから、「自分は、こうすべき」と自分に厳し過ぎると辛くなるから、「こうしたほうが良い」くらいに考えたほうが良いと思う。いい加減じゃなくて良い加減がいい。

アイキャンでのジブチ事業は今年3月で終了してしまったが、今アイキャンではフィリピンの子供たちのために「子どもの家」の提供、路上教育や職業訓練などのNGO活動をしている。コーヘーは再びジブチでの難民キャンプの支援活動のために今、日本で準備中だ。彼には諦めない理由があった。一つのエピソードを最後に話してくれた・・・。

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コーヘーと対談して、元青年海外協力隊という共通項だけでなく、voicyラジオに出演した3ちゃん(三枝大地さん)と同じ匂いがした。2人が繋がると、いいな。

 人間にとって一番大切なものは、
 「心の安定」であるということを
 しみじみと感じました。
 心を安定させるのは、人との温かい出会いにあります。
 そしてお互いに慰め合い、励まし合うことによって
 心がより一層安定してくると思うのです。
 児童文化研究家  吉岡たすく ~のびのび子育て~
 フジテレビ系列のテレビ局<テレビ静岡>
 TV「テレビ寺子屋」より



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