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わたしの意識の変容 闘病を通じて

すごい人になりたかった。

精神疾患を患う前は、

ずっとすごい人になりたかった。

なぜ、すごい人になりたかったんだろう?

それは多分未熟な思春期に
自分が満たされていなかったからだ。

とにかく自分の心を満たしたかった。

真面目に正しく生きてすごい人になる。

そうすればきっと満足できると思っていた。

でも、結局精神を病んですべて失った。

少しもすごい人にはなれなかった。

むしろ、ダメな人間になったように感じた。

精神を病むと自分に自信が無くなる。

「今までできたことができない」

ただ、それだけのことがとってもツラい。

ツラくて何年も悩んだ。

悩んで何度も生きることを諦めたくなった。

でも、とことんツラくなって、気づいた。

「ああ、すごい人にならなくていい」と。

別にすごい人にならない方が楽しかったりする。

もう、自分の中のチンケな欲求と別れを告げた。

「すごい人」を諦めた。

それからだった。

人生が好転したのは。

「もう、底辺なゴミ人間になろう」

そう、思った。

なのに、底辺のゴミ人間にはなれなかった。

なぜか、元気になった。

なぜか、普通の生活が送れるようになった。

なぜか、いろいろできるようになった。

なぜか、心が満たされた。

結局、すごくもなくゴミでもない「わたし」になった。

なんだか不思議だった。

そして、どうしようもなく嬉しかった。

涙が出るくらい嬉しかった。

わたしはきっと、この世で唯一無二のわたしになりたかったんだ。

今は病気とも折り合いをつけて、なんとか暮らしている。

ああ、なんと幸福なことだろう。

これって結構すごいこと。

昔話のように「いつまでも」このままでいたい。

そう願えることがまた素晴らしい。

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