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やりたいこと多すぎ問題, or not問題

オンライン授業になってから時間を持て余すようになり,noteを訪れる頻度が若干高まった.

私はいつも通り,人生迷子中!あ,迷子になる前に人生構想中!の方が正しいか?いずれにせよ迷子になることは確定!「前に」って言葉はややこしいね!迷子になって楽しみたいってのもある(ドMなのだろうか?)

かねてから,「芸術に触れながら」あるいは「芸術と一緒に」生きていきたい!という強いdisireを抱きつつもあまり表に出すことのなかった私だが,大学生になって以来「人生の短さ」について(以前もどこかで触れた通り,セネカ著の『人生の短さについて』はマイバイブル)想像するようになり,好きなことをやって生きていくことが現時点で私が出した最適解になりつつある.ってことで,自分が好きなものは何なのか,逆に嫌いなものは何なのか,よくわからないけれどやめられないことは何なのか,好きだと思ってきたけど続かないものは何なのか,じゃあそれはなぜなのか.そういったことをどんどん書き出していく作業は大学1年のときから習慣的に行っており,およそ月一回のペースで自然と手が動くようになった.高頻度の時期だと一週間のうちに何度も書き改めることもある.今もそんな感じだ.どんどん更新される部分と変わらない部分とが混ざりあい,また新たな方向性が生まれることもあるから,面白い.今では自分の人生において欠かせない習慣となっている.

さて,気の移り変わりが非常に早くて,時々じぶんの脳には何か異常があるんじゃないだろうか?なんてこと思ったりするんだけど,まぁここ2年くらいの間にそんな自分のことも素直に受け入れることができるようになって,楽に生きられるようになった.まぁ身体が忙しいのは嬉しい悲鳴であって,私らしいのかなとさえ思う.何かに対して「これ面白そう」「やばい,好き」と思った瞬間はいつも身体に電撃が走る感覚があり,居ても立っても居られない.瞬時に頭の中で衝動的な行動とコスト,自分が好きなのかどうかについて計算めいたシステムが作動し,決断に至る.「よし,手を出そう」

今の自分がやりたいと思っていることは,医師免許取得後初期研修医を2年間頑張って,その後刑務所で矯正医官として働きながら現在の研究の続きをやりつつお金を貯めて,ドイツ語のDSHという試験勉強も引き続き頑張って,お金と元気が揃っていれば,すぐさまドイツへ哲学を学びに行く.大学に入りなおすってことだ.ハイデルベルク大学を狙っているがどこだっていい,哲学をしっかり学べる環境ならば.「いい指導者」と「自ら考え動く自分」の二者が存在すればどこでもいい.その間にドイツで医師免許を獲得する勉強もする.しかしこれは余裕があればの話.メインは哲学だ.

これが今まで考えて変更もいっぱいあったけど今のところたどり着いているビジョンだ.

しかし今週,心境に大きな変化があった.長年温めていたアートへの想いを無視できなくなった.ふたを閉められないくらいの勢いで吹き出すこの想いに従ってみたいと思い始めたのだ.きっかけは2冊の雑誌.自分定期購読している雑誌はない一方で,時々アート関連の雑誌を一気に数冊購入することがある.半年に2回くらいである.寝ころびながら隅から隅まで見る/読む.医学の勉強に追われていたがゆえに,何かに刺激されても具体的に動けずにいたこれまでの自分とは別れを告げ,今回は手を動かすことに決めたのだ.数学とテクノロジーを使ってアートする.これはずっと憧れていたことだった.強い憧れは自分もそうなりたい,ありたいという意思の前兆でもあり,今になってそれに耐えられなくなったのだ.鑑賞者ではなく,開発側ないし芸術家としてこの世界と通じ合いたいというdesire.それに突き動かされて手を動かすことは価値あることだ,たとえ現時点でのビジョンが曖昧だとしても.

とはいえ,いずれ明瞭に描けるようにならないと夢で終わってしまう.

基礎研究に打ち込んできた中で,あらゆることに応用できる学びが沢山あった.これは私の財産となり既に私を助けてくれている.例えば,研究は目的がかなり具体的かつ絞られ,かつテーマ決めは慎重に,そして本実験までに長い過程がある.これらを (意識的かは別として) 心得ていないと研究なんてとてもできるものじゃない.どの分野でも好きなこと/やりたいことを自分の思い通りに実現するためには必要なことだと思う.二年前は考えたこともなく,全く知らなかった.今以上にすべてにおいて考えが甘かった.例えばMendeleyを使用している自分に満足していた.しかし,自分の興味がある分野の論文を片っ端から調べて,調べながらより効率よい調査方法へとアップデートしていって (レビュー論文からの逆辿りやキーワードで自動通知してくれるアプリの活用など),ある程度知識がまとまったら,その中で自分がフォーカスしたいものをさらに絞り込み,綿密な調査を始める.そして何が分かっていて何が分かっていないのかを明確にする.この過程はものすごく大変だった.明確になったら日々アップデートしつつ自分の研究テーマを設定し,そのためのプロトコルを考えていく.既存研究を参考にしつつ混ぜ合わせたり削除したり,綿密な実験計画を立てて,ようやく実験! たった一つの小さな研究をやるにしても大きなエネルギーが必要だと知ったのだ.研究が好き!あるいはこれにとてつもなく興味がある!という情熱と愛がないとできないことだと感じた.どちらも当てはまると自負している自分でさえ楽ではなかった.ただし,楽しかったことは事実である.やはり私は研究が好きなのだと思う.これからもっともがく場面は出てくるだろうが,そのたびに自分に確かめるのだと思う,お前は本当に研究が好きか?これが好きか?と.答えがNoならやめればいい.そんな簡単じゃない?そうかもしれない.でもそれならそれで仕方ない,別の楽しいことをやろうよ,探そうよ.


*自分が今何をやっているのか書き出す:

医学の勉強
基礎研究 (実験/プロトコル詰め/論文チェック, etc.)
筋トレ/jog
アート系の雑誌を読みながらのごろ寝
ドイツ語の勉強
掃除
哲学書の読書/思考
その他読書
散歩
古本屋巡り
ウヰスキー,チーズの勉強
医療系企業でのインターン
自宅での映画鑑賞
noteで思考整理/言語化
多分野の音楽鑑賞/トラックリスト作成
論理学 (入門)
ずぼら飯作り
twitter/instagram
祖父母との文通/珈琲チャイ交換
家族とのLINE/電話
数年の時を経て昨日手を出したcreative coding (入門)
こうやって日々今や将来のことを妄想/想像しつつ言語化

やりたいことは沢山あって,それは迷っているってことでもあるし,ぜんぶやってもいいってことでもあると思う.やりたいことが沢山あることを「どれも中途半端になってしまって良くない」っていう結論に結び付けるのは短絡的だと私はいつも考えている.どこからどこまでが中途半端なの?っていう質問に対する独自の回答を持ち合わせているのならディスカッションしたいところではあるが,少なくとも私自身は「何事も完璧にすることは難しいし評価の方法だって様々だし,何を始めたっていつやめるかなんて誰もわからないから,やりたいことをやれる環境と健康状態にあるのなら,できる限り欲張ってやってみることで自分が人生を楽しめるのならそれでいいだろう」と思って生きている.生き方なんて案外あっけなく移り変わるものだろうから.



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