見出し画像

"本能寺の変"と同日同時刻に亀山城から本能寺まで行軍してみた(2) ~新月の夜~

本編は「その1 事件は現場で起きている」のつづきです。
【注】このページの内容には誤りが有るのですが、実行当日には気付いていなかったのでそのまま記載しています。修正内容は最後のページにて記載します。

行軍再現の日程

明智光秀の軍勢が本能寺を襲ったのは、天正10年6月2日の明け方だ。
天正10年は西暦1582年だが、京で当時使用されていた暦(宣明暦)とは日付のずれが有る。天正10年6月2日は、西暦1582年6月21日だ。

明智光秀が亀山城(京都府亀岡市)を出発したのは、本能寺の変の前日の6月1日の申の刻(午後4時)と伝えられている。今回の”本能寺の変の再現行軍”は、ちょうど438年後である2020年6月20日16時に亀山城を出ることにした。

新月の夜

決行日は決まった。次に気になったのはその日の天気だ。本能寺の変を描いた図絵をいくつか観たがどれも雨は降っていない。本能寺に向けて火矢を放っているものも有るので、きっと雨は降っていなかったのだろう。
まだまともな文献を探すと、公家の山科言経の日記『言経卿記』によれば、天正10年6月2日は、前日の雨が上がり晴れだったという記載が有る(山科言経は毎日日記をつけており、変の前日は歌会を開いていた)。

晴れていたとしたら、明智軍は月あかりで、深夜の山陰道を駆け抜けたのだろうか。

画像1

月齢計算のサイトで検索すると1582年6月21日の朝5時33分は月齢0とのこと。新月の日だったのだ。

画像2

明智軍は前日夕方に亀山城を出て、京との間の山を深夜に越えるあたりでは灯りに松明などを使ったであろう。桂川を超えて平地に入ってからは暗闇の中を行軍したのだろうか。奇襲攻撃を仕掛けるのならば、敵に気付かれにくい新月の夜はうってつけだ。
ただ、1万人を超える人数が漆黒の闇の中を行軍できるものかどうかは気になる所だが。
-----
【注】このページの内容には誤りが有りますが、実行当日には気付いていなかったのでそのまま記載しています。修正内容は最後のページにて記載します。
-----
その3 行軍の経路へ続く】
目次:明智光秀の謎】←毎日更新。ブックマークお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?