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「一生懸命生きていない人なんかいない。」


インセルの男性達の寂しさ
INCEL(インセル)という言葉がある。
ざっくり説明すると北米圏のアンダーグラウンドのネット世界で結婚相手や交際相手を得られない男性のコミュニティが自分達を指すスラングで、その中からは無差別テロ行為に及ぶ者も現れている。

参考記事
【期間限定復活】「白饅頭 vs. INCELマン」+After
https://note.mu/terrakei07/n/ne38cd9c94013

僕は被害に遭った人々を悼む以上に、このインセルの男性達にシンパシーを感じずにはいられなかった。
どう頑張っても女性に自分の存在を受け入れられない苦しみ。それは僕も自分の人生で味わってきた。だがネットの反応は冷淡なものもある。

「インセルやモテない男性は女性の人格を何も考えていない。だから家族が欲しいなんて傲慢だし、女性と子供のフィギュアでも与えておけばいい」

こんな意見を目にして、僕は怒りに任せてこの文章を書いている。こんなことで負けてたまるか。何としても僕と同じ境遇の男性の魂に火を灯す文章を書き上げてやるんだ。

相手の心の琴線に触れるコミュニケ―ションというのは技術や経験の問題もあるし、ある二人の人間同士の心が本当に通じているのか、お互いに人格を尊重した信頼関係があるのかはどんな科学的な方法でも定量化することは出来ないし、誰にもわからない。憎悪にかられて無辜の人々を傷付ける行為は許されるものではないが、パートナーが欲しい、家族が欲しいという寂しさを吐露する男性に対して、こんな冷酷な意見を突きつける鬼畜生こそが、インセルの男性達が憎悪に堕ち込んでいく原因を作った張本人なのではないかと思う。

AV監督の二村ヒトシという人は自著の『すべてはモテるためである』という本の中でこう述べている。

「なぜモテないかというと、それは、あなたがキモチワルイからでしょう」

二村氏はこの本の多くの部分で男性はコミュニケーションの不自然さという意味での「気持ち悪さ」を自覚して一度臆病になるべきだと説いている。
でもそれって最終的な結論としては「脈が無かったら次の女に声をかけろ」「試行回数を重ねろ」というナンパマニュアルの教えと大差ない。
僕はむしろ、

「どうだ、俺のようなイイ男に声をかけられて君も嬉しいだろう?」

というような古典的なマッチョイズムに満ちた心構えを説くナンパマニュアルの言葉の方が好きだったかもしれない。ちょっとナルシシズムが入っててマヌケに聞こえるかもしれないけど、どうせ傷付く可能性があるんだったら、自信満々の方がいい。仕事でも勉強でもコミュニケーションでも、トライ&エラーを重ねて人間はものごとを上達していく。

もちろん、一歩一歩努力を進めてきた果てに能力が足りなくて頓挫してしまうこともあるかも知れない。だとしても僕はその歩を進めてきた気持ちが報われる世界であってほしい。

セックスを価値あるものとして「性の再分配」をするべきだという先鋭的な意見が海外で発表されたことがある。女性からは無論反発する意見もあるだろう。「不細工な男、至らない男に女性を『あてがえ』というのかと。」

しかし僕はその「性の再分配」は積極的に女性の人権を蹂躙したいという嗜虐嗜好なんかじゃなくて、「頑張っても俺はこんなんだけど、どうか男性として承認してください、勘弁して下さい」という懇願なのではないかと個人的には考えている。

父は母に手を上げたけど、僕を支えてくれた
僕の父は僕が高校生の時、母と離婚した。
仕事の辛さや母の実家との人間関係など、父なりに色々と思う所はあったのだろう。母に手を上げたこともあった。
だがそんな父は声優養成所なんかに入ってフラフラしていた俺を、資格の勉強を始めて真面目に就職しようと決意した今まで見棄てずに支えてくれた。女性に手を上げたということを罪として僕の父が社会的に抹殺されていたら絶対に今、僕は生きていなかっただろう。そんな父に感謝も尊敬も抱いているし、父の人生を間近で見ていた僕はこれだけは言える。
異性に好かれること、異性を大切にすること、それはソイツ自身が立派な人間であること、善い人間であることとは全く何の相関も無い。
もし女性にモテなくて、心が寂しくて堪らない男性がこの文章を読んでいたとしたら、どうかこれだけは信じて欲しい。

男だって懸命に生きている
社会的に弱い立場に置かれた男性を表現する『キモくてカネのないおっさん(KKO)』というインターネットスラングが流行した時期があった。それは「アイツはKKOだ」と後ろ指を指すような使われ方よりもむしろ「俺ってKKOだからさ・・・」という様な、自嘲を含んだニュアンスが言葉に込められていたことが多かったように見えた。だがそれはやめろと言いたい。
この社会に蔓延する、社会的なパワーが弱い男性に対する潜在的な攻撃性に対抗するためには、自分のことをキモいだの何だのと貶めるような言葉は冗談でも使うべきではない。
「一生懸命生きていない人などいない」
これは昔、僕が精神的に限界で、心療内科のデイケアに通っていた頃に貰った最も心に残っている言葉だ。
「自分は、偶然にも社会的、経済的に困窮した状況に置かれてはいるが、この世界で、懸命に生き抜こうとしている尊厳ある個人なのだ。」
という自意識をこの社会に生きる男性一人ひとりが持つことが男性の人生の厳しさと戦う第一歩だと僕は考えている。

最後に僕が尊敬するマッチョな男性の一人であるキャプテン・アメリカの言葉を引用して、この文章を締めくくりたい。

群衆やメディアや、世界の全てが君にどけと言ったら、君は真実の川のそばに立つ木のように根を下ろし、こう言うべきだ。”そっちがどけ”と

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