見出し画像

はじめて「ロッキー」を観たらエイドリアンがひたすら可愛かった

ワタクシ、ちょっと映画ファンぶって映画の台詞を引用したりしながら文章を書いたりするんですけど、実はそこまで映画通じゃないんですよ。しかしてその実態はアベンジャーズとティム・バートン全部観たくらいでイキってるオタクなんですよ。あ、インクレディブルハルクまだ観てなかった。

オタクって、その分野そのものをこよなく愛しているタイプと、そのコンテンツに耽溺している、知識を大量に蓄えている自分が好きっていう2パターンがあると思います。もちろん完璧に二分できるもんじゃないだろうし、コンテンツ愛とナルシシズムの両方を持っている人も大勢いて、どちらかが強いかどうかのシーソーのバランスは個人個人で千差万別。グラデーションのように人それぞれのコンテンツとの関わり方が存在して、どれが正解かなんてのはもちろん存在しない。
それを踏まえて正直に告白すると、僕は「みんなが知らない面白い映画知ってる俺カッケー!」っていうタイプです。いや映画の内容そのものは純粋に楽しんではいるんですよ?ただ、多くの人に知られていない、「知る人ぞ知る名作」っていうのを自分の中に吸収すると、自分が少しより良いな人間になれた気がするっていうか。
 『ジョーカー』に出演していたロバート・デ・ニーロ繋がりで、クラシックなマフィア映画も何本か見ましたよ。『ゴッドファーザー』全三部作は一本一本の長さが全部『エンドゲーム』並みに長い。それでも飽きずに最後まで観られるのは、現在のハリウッドの礎を築いてきた名優たちの持つ魔力なのだろうか。
B級感溢れるスプラッタなホラー映画もたまに見ます。三十路を越えても中二病は治りません。しかし最近は生活も忙しくなってわざわざ娯楽目的でダークな作品を鑑賞して暗黒気分に浸っている余裕も無くなってきてしまいました。そこで何かアガる気分になる映画を観ようと思い立ち、ゲオレンタルでポチったのがシルヴェスター・スタローンの伝説の名作『ロッキー』です。

タイトルだけは知っていてもストーリーは全然知らないという方は僕より若い世代ではほとんどなのではないでしょうか。僕も視聴前は「アレでしょ?『エイドリアーン!!』って叫んで泣いてるヤツでしょ?」くらいの認識。(ちなみに僕はこの知識をを伝説のジャンプのギャグ漫画『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!!マサルさん』から得ました。)そのエイドリアンが何者なのかすら認知していなかったし、『ロッキー』という作品自体についても「漢(オトコ)クサーい、筋肉と筋肉がぶつかり合う、脳筋マッチョな映画なんでしょ?」程度の認識しか持っていませんでした。しかしこの名作を視聴後にはそんな舐めクサった幻想は打ち砕かれることになる。

しがないアングラボクサーだったロッキーは突然アポロという世界チャンピオンに指名を受けて一躍スター街道目指して大奮闘!というのが『ロッキー』の本筋なんですが、そこに華を添えるのがエイドリアンの存在。
エイドリアンの実兄からの紹介もあってロッキーは彼女の働くペットショップに足繁く通います。
彼女は何処か憂いのあるくたびれた表情で、視線は伏し目がちな時もあれば遠い所を見ているような時もあり何処か定まりづらそうにしている。昔のマンガに出てくる妙齢の女性が使うような三角形のメガネをかけていたけど、その奥にある目鼻立ちは整っていて、不思議な魅力を持つ女性でした。
ロッキーは買い物がてら、店員の仕事をしているエイドリアンに話しかけたりして、冗談を飛ばしたりもするんですけど彼女はちっとも笑わない。
その後、兄のポーリーのかなり強引なセッティングによってロッキーとエイドリアンはデートに漕ぎ着けるわけなんですが、このシーンが凄く良いんです。
閉園後のスケート場で2人きりで一足だけスケート靴を借りて、ロッキーはリンクの氷上をランニングしながらエイドリアンが滑っていくのに並走する。この時、少しずつ交わす言葉数も増えて、心の距離も縮まってきます。

「俺はバカだから、アタマを使う仕事はできなかった。バカと内気、お似合いだろ?」

自己主張が是とされるアメリカ社会でエイドリアンは「内気」とか「シャイ」、最近の言葉で言うなら「コミュ障」な女性として描かれています。
そしてロッキーの自宅に戻ると、帰ろうとするエイドリアンを壁際に追い詰めて「俺だって緊張してるんだ」という台詞と共ににキスする。一夜を共にして恋人の関係になる。後に数十年もの間、ハリウッドで前線に立ち続けるシルヴェスター・スタローンをして「生涯最高のラブシーンだった」と言わしめる、印象的な場面です。

ロッキーは草食系男子の夢
ロッキーがエイドリアンを陥落させたプロセスは昨今のエンターテイメント映画の好ましい恋愛関係の発展の仕方とは少し違うかも知れません。憧れの女性と実は相思相愛であることが発覚したり、英雄的活躍の果てに彼女の心を掴んだり、そんな都合の良さやヒロイズムとはロッキーは距離を置いていて、彼のエイドリアンに対するアプローチは「格好悪く」、「チャラい」んです。でもそんな努力と行動の果てに意中の女性と結ばれたから僕は2人の関係に感動できたんです。多くの映画ファンが、他のどんな映画よりも「ロッキーを観ろ!」とすごい剣幕で主張するのはコレだと思うんですよ。
例えば学校の休み時間に教室の隅で本を読んでいるような目立たない女の子が気になっていたなんて経験は、文化系の男子なら誰もが覚えがあるんじゃないでしょうか。でも大抵の場合、そんな地味な女の子だって、クラスの中心人物とかイケメンが好きなんだから、淡い想いはノックアウトされて粉々になる。ロッキーはそこで負けなかったんです。その戦いは多くの映画ファンだったり、少年時代は内気で映画ばかり観ていたというスタローン本人を含めた、多くの草食系男子に夢と勇気を与えたはずです。世界チャンピオンのアポロとの決着は添え物みたいなもんです。むしろ死闘の末にアポロに惜しくも敗れることでこの映画全体のリアリティラインを護っているとも言える。「可愛い彼女と両思いになって世界チャンピオンにも勝っちゃいました!」なんて都合が良すぎです。「トラックに撥ねられて異世界に転生」と同じ階級です。

みんな頑張ったら報われて欲しいし、好きな人と結ばれたいし、どうしようもない時に奇跡が起きて欲しい。でも実際の人生はそうじゃないことをみんなよく知ってる。そんな世界でボクシングという男らしさ競争には敗れたけど、愛しい彼女の心は手に入れることができたという、物語の都合の良さとリアリティを絶妙なバランスで一番スカッとする形で提示してクリーンヒットをブチかました快作です。古くても歴史に残ってるものって素晴らしい。



参考サイト
ゆとり世代の僕が初めて「ロッキー」を見た話
https://yazibee.hatenablog.com/entry/2015/03/03/000000

共に栄える
https://www.bonjinguu.com/%E7%9F%A5%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%82%8B%E7%A5%9E%E3%80%85/%E5%85%B1%E3%81%AB%E6%A0%84%E3%81%88%E3%82%8B/

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?