【生徒のつぶやき】2022年4月28日

「『精神疾患を理由に刑事責任能力を問えない』という規定について、なんか納得できません。どういう意図のある規定なのでしょうか。」

〔代表より〕
最近のことですが、4人の方を殺害した人物が、精神疾患により責任能力を問えないとして、無罪判決が出された裁判がありました。刑法39条による規定を適用した形です。私は法学を専攻したことはありませんが、刑法39条に「心神喪失者の行為は、罰しない。」という規定があることを知っていました。同時に、この規定に疑問を抱く有権者が多数いることも知っていました。

普段ならネットニュースの「みんなの声」というノイジー・マイノリティの声など見ないのですが、このニュースについてネットで読んでいるときに、たまたま「みんなの声」を見てしまいました。やはりそこには「被害者が浮かばれない」・「精神喪失でも罪は罪」・「『無罪やむなし』と考える人たちは、自分や身内が被害にあってもそう言えるのか」のようなコメントを多数見受けました。

こういうコメントを見るたびにいつも思うのですが、なぜここで「声」を書いている「みんな」は、自分や身内が被害者になることだけしか想定していないのでしょうか。自分や身内がある日突然精神を患い、加害者になる可能性を想像できないのでしょうか。臨床心理学をかじったものとして、どのような人間でも精神を簡単に患ってしまうことを私は知っています。私自身、高校生のときは漠然と「もし明日目が覚めて、自分が殺人鬼になっていたらどうしよう」と心配になって眠れなかった日々を過ごしたこともあります。毎朝目を覚ますたびに、昨日と同じ「自分」が続いていることに安堵したことが何度あったか。

精神疾患について、例えば近年では「うつ病は甘えではない」のような認識が広がりつつあるという報道も見ます。しかしそれもやはり、「自分もうつ病の『被害者(患者)』になるかもしれない」というだけの認識ではないのでしょうか。自分だけでなく、まわりの人が精神を患う可能性があること。そして、それが時には凶悪な犯罪を引き起こす可能性があることまでは、多くの人が覚悟できていない気がします。

人間は思っている以上にはかなく脆いものです。明日は今日の続きである保証など、どこにもありません。刑法39条の規定は、この当たり前のことを踏まえた規定なのだろうと、私は教育学・心理学の立場から思っています。もちろん、その運用に際しては厳しいチェックが必要でしょう。ただし、人間はある時突然、簡単に壊れてしまうということも忘れてはなりません。

そう考えるとき、人間と言うものの弱さに絶望を抱くかもしれません。前述の通り、私自身も人間の脆弱さにおびえていた時期がありました。けれども、例えば偉大なる作家の小説を読んだり、著名な芸術家の作品に触れたりするなかで、「人間って弱いけれども、案外に頑張れる存在なんじゃないか」と思うようになりました。

過去の人類の叡智に触れることで、人間という存在の尊さを知る。そういう意味でも高校生の皆さんには勉強をし続けてほしいと思っています。

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