見出し画像

冷たい便座

我が家の便座は冷たい。
あたため機能は搭載されているが、設定をオフにしている。

夏からそのまま設定をオフにしていたので、冬に入ってからはその冷たさを毎回実感している。

だが、底冷えするこの季節に入ってもなんだかこの便座のあたため機能をオンにする気持ちにどうしてもなれずにいた。
つくづく面倒くさい人間である。

面倒くさい人間なりにその面倒くささを深堀りしてみる。



なぜ、温めないのか。便座を。
温められる便座を。
人間の傲慢さに漬け込んだこの機能を。
今まではそこに意思はなかった。
ただオフにしていただけ。

では、なぜこの寒い冬にあたため機能をオンにする気持ちになれなかったのか。
そこに意思はなかったのに。

自身の心を深堀りしてみたら、ポリシーが見えてきた。

俺は便座を温めていい人間じゃない。
どうやらそう思っていたらしい。
やはり面倒くさすぎる。この人間は。



俺は便座を温めていい人間じゃない。

そもそも便座を温めていい人間とは何なのだろうか。
人権保護の観点から、自宅の便座を温める権利については私も持っている。

ただ便座を温めていい人間ではないと自身で判断した。

結果としてはある種の自制である。

外的要因ではなく内的要因で便座のあたためモードをオンにしなかった。

ここまで書いてみて思ったけど、自宅の便座に関して外的要因が影響するケースってあるのかな。
そもそも。


なぜそう思ったのか。

俺は便座を温めていい人間じゃない。なぜそう思ったのか。

その答えは私はすぐ調子に乗るからである。
非常にシンプルだ。

器だったり、権利だったり、そういう理由ではない。

便座に腰を掛けたときにヒヤッとするのを日に何回も味わえば自身への牽制になるだろうという浅く甘い考えで、便座のあたため機能をオフにままにしている。

便座に「あまり調子に乗るなよ。」と言わせている。

オプショナルなものを日常的に使うと、それは自然とデフォルトに繰り上がってしまう。
生活水準に当てはめると一番わかりやすい。

便座を温める光熱費単体で考えると月に数百円程度だろう。
取り立てて削減対象にするようなものではないと思う。
彼女が遊びに来たときは、こんな一個人のポリシーに巻き込むのは野暮だからオンにしているし。

ただ私はすぐに調子に乗るので、このオプションを当たり前に使うことによって得られる快適さより、定期的に臀部をひんやりさせることで鞭を打つ方が自分の人生にいい効果が出るのではないかと考えている。

そこにMっ気があることについては否定しない。



何を選び、どこに行くのか。
どんな身体・精神状態で向かうのか。

緩んだ気持ちで臨むより、締まった気持ちで臨みたい。
それに寄与してくれるのであれば、便座だって冷やしておく。
自身を牽制する手段としての便座冷やし



自問を繰り返した結果、そんなことを考えていたようだ。
冒頭から貫徹しているのは面倒くさい人間だということくらいだろうか。

冷たい便座について1200文字以上書いてしまった。
noteというサービスの保持データにまたしょうもないレコードを刻んでしまった。
どうか寛大な心で許してほしい。


よろしければサポートお願いします。励みになります。