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平尾誠二さん

平尾誠二さんがお亡くなりになったのは2016年10月20日。
この写真は、2012年9月23日に秩父宮ラグビー場で行われた”東日本大震災復興支援「V7マッチ」”のときの写真ですがお。神戸製鋼のみなさんと一緒に写真を撮っていただきました。

釜石のことも特別な場所だと思ってくださっていた平尾さん。釜石でのワールドカップ。空の上から見てくださっていたはずですがお。

どうでしたか、平尾さん。楽しそうだったでしょ?
平尾さんのおかげですがお。


「釜石で試合をやるんだったら絶対見に行きたいですよ」

2011年7月18日。神戸製鋼の灘浜グランドで神戸製鋼さんのラグビーフェスティバルが行われました。
イベントのひとつに松尾雄治さんがゲストとして呼ばれた、平尾さんとのトークショーがありました。その席上、松尾さんがいいました。

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「1試合でもいいから、釜石でやれたらいい。この津波の被害を受けた場所に、世界からお客さんが来てくれて、一体感を持ってくれたらいいですよね。ラグビーが夢を作れると思う」

公の場でのラグビーワールドカップを釜石で、という発言はこの時が初めてだったかもしれません。ワンオブザなかぴー中の人もその場にいましたがお。

釜石でワールドカップの試合があったら、僕も絶対に見に行きたいですよ。東北の支援について、今は色んな人が「やらなきゃ」と言ってるけど、本当の支援はこれから十年二十年三十年続けていかないといけないこと。2019年のワールドカップで、釜石が中心になって、仙台なんかともプロジェクトを組んで、東北全体から『復興の狼煙』をあげたらエエと思うなあ。

『釜石の夢 被災地でワールドカップを』(大友信彦さん著)

平尾さんが即答してくださいました。
まだ、震災から3か月ほどしかたっていないころでした。
阪神淡路大震災を経験した平尾さん。そしてラグビーワールドカップのもつ力を身をもって知っている平尾さんだからこその感性が「釜石でラグビーワールドカップを」という松尾さんの言葉に共鳴してくださったんですね。


ぼくらは平尾さんにどんなに力づけられたか。

「これから7年間、楽しみを持ち続けることができたら、イイじゃないですか。7年間が幸せになる」

2012年6月2日。神戸製鋼コベルコスティーラーズのみなさんが釜石にシーウェイブスと合同の被災地支援活動のためにおいでになりましたがお。スティーラーズGMとして平尾さんも釜石に来てくださいました。釜石に来たのは1984年、大学4年生のとき、日本代表の合宿が釜石で行われて以来だったそうですがお。当時の日本代表には釜石の選手が多数在籍。日本代表の合宿が釜石の松倉グランドで行われたんですがお。
「ここから見える景色は変わらないねえ」
松倉グランドはなかぴーのラグビーの原風景。平尾さんの言葉がうれしかったですがお。

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そして、この日行われた『RWC2019釜石誘致応援フォーラム』に参加してくださった平尾さんは、集まった釜石のひとたちの前で言いました。

スポーツイベントでは、よく経済効果という言葉が使われますよね。大手広告代理店さんが、何百億円だ、何千億円だという数字を出してきます。だけど、僕に言わせれば、それは大した数字じゃない。人間の心に宿る効果、地域にもたらす勇気のほうがはるかに大きい。釜石の人たちが、ワールドカップの試合を見ることで勇気づけられる。これこそが、ワールドカップを開く価値だと思うんです。

『釜石の夢 被災地でワールドカップを』(大友信彦さん著)

釜石でワールドカップをやるのはこんなにリスクがある。それは、そう考えればそうなるでしょう。だけど、そればかり考えていたら楽しくない。そもそも、そっちに考え出したら、日本で開催すること自体がリスクが高いんです。それよりも、夢をもっていかないと。

ラグビーは、釜石に文化として定着しているものだと思うんです。その夢を共有して、これから7年間、楽しみを持ち続けることができたら、イイじゃないですか。7年間が幸せになる。そう考えた方がいいと思うんです。

『釜石の夢 被災地でワールドカップを』(大友信彦さん著)

「これから7年間、楽しみを持ち続けることができたら、イイじゃないですか。7年間が幸せになる」

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7年間が幸せになる。7年間が幸せになる。平尾さん。ありがとうございます。ホントでした・・・。

「平尾さん。OB戦に出てくださいよ」

その3か月後の2012年9月23日。秩父宮ラグビー場で”東日本大震災復興支援「V7チャリティマッチ」がおこなわれました。
引退後からずっと、OB戦には出場をしてこなかった平尾さん。
2012年6月に釜石を訪れたとき、スクラム釜石代表の石山次郎さんが平尾さんに9月のV7マッチへの出場をお願いした時に、こう言葉をかけたそうです。

いままでいろんなイベントの機会などでOB戦への出場の誘いがあっても、
「そんなん、なんも(練習)してないもん、できひんよ」
と断っていた平尾さん。
この時は釜石の被災地の現状をその目でみた後のことだったそうですがお。「瓦礫の山を見ると、心が痛いよね。阪神大震災のとき、グラウンドが瓦礫置き場になっていたことを思い出して・・・」と平尾さんはつぶやいていたそうですがお。
石山さんの「平尾さん、OB戦に出てくださいよ」の言葉に、笑いながら「松尾さんが出るんやったら、僕も出ますよ」と答えてくださったのは、その数時間後のことだったそうですがお。

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『V7マッチが実現するまで』/V7戦士チャリティマッチプログラムより


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2012年9月23日の平尾さん。

そして、2016年10月20日。ぼくらは悲しいお知らせを聞きました。


ホラ、だから今日は、平尾と、空から試合を見守ってください。

2018年8月19日。釜石鵜住居復興スタジアムのオープニングイベントのひとつとして、こんどは釜石で、ワールドカップに向けて釜石にできたあの美しいスタジアムでV7マッチが行われました。

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公式プログラムには、松尾さんから洞口さんと平尾さんへのメッセージが掲載されていましたがお。
うのスタのこけら落としの日。この日も素晴らしい空でしたがお。

きっと、この日も平尾さんはどこからか見ていたはず。
あの美しいスタジアムで、観客の皆さんも、プレーをしている選手たちも、OBも、こどもたちも、中学生も高校生も、おとなたちも、みんながみんな楽しそうに笑っているのを見て、釜石でのワールドカップはきっとすばらしいものになるって確信したのではないでしょうか。

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平尾さん。これからも釜石を見守っていてください。