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【#10/特別編】スポーツ嫌いのテレビっ子が日の丸を背負うまでの話(後編)

なんで、私が日本代表に。

8月某日。仕事の昼休み中に、
代表から1件のLINEが届いた。
11月にシンガポールで開催される国際試合に
参加しないか、という誘いだった。

何度も言うように、私は運動ができる
方ではなく、どっちかと言えばインドア派だ。
それなのにいきなり世界大会へ招かれ、
頭がついて行くわけもなく、午後の仕事は
正直あんまり集中できなかった。

ドッジボールの国際団体はWDA/WDBFと
2種類存在するが、声をかけて頂いた
WDBFに日本チームは所属しておらず、
今回「日本代表第1号」としての出場となる。

そして9月に日本代表としての出場が
正式に決定し、身内や会社にすぐ報告。
周りみんなビックリしてた。そりゃそうだ。
特にXやインスタでの発表は、
【逃走中】界隈からの反響も多く、
逃走中の初代プロデューサー高瀬敦也さん
一般枠で逃走成功を果たした古橋法生さんと
憧れの方からの反応もいただくなど、
とんでもないことになった。

「逃走中/戦闘中」を作った高瀬さんより
クロノスマニアとして光栄すぎる瞬間だった

日の丸のプレッシャーと葛藤

そこから2〜3ヶ月の間、大会出場に向けての
練習期間がスタートした。
今回参加したのは10ヶ国。
男子部門では9ヶ国、混合では7ヶ国が出場。
いずれも百戦錬磨の猛者たちだった。
対してこちらは対外試合ですら初めて。
国際交流メインで活動していたこともあり
戦闘能力に不安しかなかったけど
できる限りの練習はしてみた。

プレッシャーもそうだけど、仲間の骨折や
回を重ねる度に生まれるチームワークなど
スポーツだからこそ味わえる青春に
練習中でも胸が熱くなった。

そして、勝負の日がやってくる・・・。

プレイヤーとしての葛藤と覚悟

11月18日。いよいよ大会本番。
私はシンガポール最大のスタジアムにいた。
初海外旅行ということもあり移動で
かなりの体力を消耗した結果、
前日の合同練習前後に鼻血が止まらず
ダウンしていた状態からの出場だった。

今回参加した試合は45分×9戦。
途中交代もあったが、ゲーム時間は合計
405分と、逃走中の倍以上の時間を
1日で戦わなければいけなかった。

序盤こそフルボッコにされたものの、
段々とコツをつかみ、何セットかは
取れるようになってきた。

しかし、チームにはあまり貢献出来ておらず
練習期間中も何度も悩み、結果を残すことが
出来なければドッジ引退も考えていた。

そして引退を覚悟した男子の部最終セット。
ついに奇跡は起きたのだ

【戦闘中】が起こした奇跡

最終決戦でこちらは残り4人。
敵は1人だけだがボールを5球持っており
攻撃のタイミングを間違えれば一気に
撃破される危険が高くなる。

その際、私は一か八か囮になって、
犠牲覚悟で相手に隙を作る作戦を取った。
もちろん外せばチーム丸ごと大ピンチ。
ただ、この状況を私は【戦闘中】で
何度も見てきた経験がある。

2022年【激突!最強vs最強】編での
那須川天心選手vs土井レミイ杏利選手
天才同士による超接近戦の闘技場バトル。
この時にお互い同時に速球を投げたが
天心選手は素早い反応で回避する
神業を見せた。

相手はボールを2球+陣地内に3球。
対してこちらは私が1球持つのみ。
攻撃の隙を封じることを考えれば
まずボールを持つ私を狙ってくるだろう。

ここであのシーンを再現出来れば
セット勝利の可能性が高くなるのでは?

であれば、ここで仕留めるしかない。
そう考えた私はあえて前線に立ち
敵の選手を引きつけることにした。

狙い通りに襲いかかる敵のエース。
ふたりの距離はわずか3m…
同時に攻撃を仕掛けた。

その直後、セット終了のホイッスルが響く。
相討ち覚悟で放ったボールは敵に当たり
対するなんとかボールをかわしていた。

【戦闘中】から身につけた戦術で
ドッジボールの海外プロ選手を
サシで倒すことが出来たのだ。

また、最後の試合では敵5人に対して
こちらは私1人だけという状況から
なんとか2人撃破するなど、
勝ち越しはできなかったものの、見せ場を
残すことが出来たのだ。

その際のゲームの様子
起死回生の大作戦が功を奏した。

クロノスゲームへの思い、
そしてこれからの展望

この投稿から30分後には、ついに逃走中
大晦日年越しスペシャルが放送される。
私をここまで育ててくれたのは、
幼い頃から見ていた逃走中/戦闘中の
おかげと言っても過言では無い。

20周年を迎えるということで、重大告知が
あるというお知らせもあったが、
もし一般公募が復活するのであれば
単なる逃走中マニアとしてではなく
夢を叶えたリアルクロノスプレイヤーとして
スタッフの皆さん、そして逃走者の皆さんに
感謝を伝えさせていただきたい。

これまでクイズ番組や逃走中に
応募してきたが、もし逃走中で賞金を
持ち帰れる日が来たら、その際は
まだ日本に広まっていないマルチボールの
魅力を伝えるイベントを開催する資金に
充てたいなと思っている。

それがこれまで育ててきてくれた
逃走中/戦闘中への最大の恩返し、
そして新しい私の夢である。


スポーツ嫌いのテレビっ子が
日の丸を背負うまでの話
(完)

大会参加者に配られたパス
私にとって人生最大の誇りとなった

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