映画を観るという事

この文章は、「#映画にまつわる思い出」投稿テーマの参考作品として、株式会社WOWOWの依頼により書いたものです。

大阪で朝の情報番組に出演していた20代の頃、映画紹介のコーナーの為に、週に1本最新映画を観させていただいていた。
試写会のスクリーンで観る事もあれば、自宅の14インチのテレビで特別にお借りしたVHSを観る事もあった。
番組が終わり、29歳で上京してから10年以上経つが、その頃に観た映画をTVやタブレットで観ると、当時の記憶が鮮明に蘇る。
その作品を観た時に感じた事だけでなく、作品を観に行った試写室があるビルの湿度やその日の秋風の香り。
VHSを観た時に住んでいた街の風景や部屋の木漏れ日。
若さゆえに抱いていた大きな野望と締め付ける様な絶望。
全てがそのまま帰ってくる。

「#映画にまつわる思い出」というお題をいただき、文章を書き出してはっきりと気付いた。
街中で嗅ぐプールや香水の匂いが懐かしい記憶を呼び戻す様に、自分にとっては映画の内容よりも「その映画を観たその日」自体が思い出になっていたんだと。

小学四年生の時に、母方の祖父に映画に連れて行ってもらった。
お正月に親戚で集まる事は何度もあったが、二人きりで行動するのは初めてだったので少し緊張したのを覚えている。
大阪府堺市の祖父母の家から電車で堺東駅へ移動し、歩いて映画館に向かった。
夕食の際にしか来た事がない街だったので明るい商店街を見てなんだかソワソワした。
デタラメに優しかった祖父が「功ちゃんが観たい映画を観よう」と言ってくれたので、僕たちは
「劇場版 ドラゴンボールZ」を観る事にした。
大きいコーラと大きいポップコーンを買ってもらって前の方の座席に着くと、ほどなくして館内が暗くなり予告編が始まった。
おかしな物言いになるが、祖父は僕や僕の母親に似て、物凄くお喋りな人だった。
予告の時点で「この映画も面白そうだね」とか「音が大きいね」とか「椅子がフカフカしてるね」などと小声で喋りたい放題だった。
僕は少しだけ眉間に皺を寄せ祖父の方を見て「おぉん...」と発声してみた。
これは「映画が始まったら喋りかけないで欲しい」という明らかな警告のつもりであった。
が、無駄だった。
本編が始まるや否や、祖父からの質問が炸裂した。
孫悟空が登場すると「この人はなぜこんなに髪が立ってるの?」
クリリンが登場すると「この人はお坊さんなの?」
ピッコロが登場すると「緑色だけど敵じゃないの?」
更には「この球は何なの?」
などと、覚悟を大幅に超える言葉数だった。
僕はその都度小声で
「知らない」
「お坊さんじゃない」
「最初は敵だったけど今は違う」
「ドラゴンボール」
などと、祖父の疑問を最速でしらみ潰しにしていった。
「これで何とかやり過ごそう」そう思っていた。
しかし、中盤から劇場版オリジナルキャラが登場してからはこちらの打つ手がゼロになった。
僕も、他のお客さんも、ひょっとしたら鳥山明先生でさえも知らないキャラクターに関して、祖父は質問を投げかけて来たのだ。
「この人は強いの?」
「攻撃してきたけど怒ってるの?」
「髪が立ってる人とこの人はどっちが勝つの?」
「この球は何なの?」
僕はその都度、顔をクシャクシャにして
「おぉぅん...」
「いやぁあ...」
「大丈夫...」
「ドラゴンボール」
などと、空返事をしながら乗り切ったが、結局映画の内容は半分も頭に入ってこなかった。
映画が終わり館内が明るくなり、立ち上がった祖父は、膨れっ面の僕に満面の笑顔でこう言った。
「凄い面白かったね。功ちゃん、この映画にしてくれてありがとうね」
僕は「トイレ行ってくる」と言って大便所に入って鍵を閉めて、泣いた。
嗚咽が漏れるほど泣いた。
10年ほど生きてきて初めて、感情がわからないまま泣いた。
今ならあの感情の種類がわかる。
デタラメに優しかった祖父に冷たい態度を取ったのに、それでも優しくしてくれた事への後悔と感謝だ。
しばらくして、泣いた事を祖父に悟られたくなかった僕は、洗面台で顔をバシャバシャ洗ってトイレを出た。
上下の服は水でビショビショになっていた。
祖父は気付いていたのかいないのか、何も言わずニコニコ出迎えてくれて、二人で堺東の街を後にした。

僕は「劇場版 ドラゴンボールZ」の映像を少しでも目にする度に、この時の記憶が鮮やかに蘇る。
そして凄くシンプルな後悔の波が押し寄せてくる。「あの時おじいちゃんに冷たくしなければ良かった」と。

月日が流れて、僕が29歳になった頃、祖父が病室のベッドで静かに息を引き取った。
その時刻、僕はいつもの様に朝の情報番組で映画を紹介していた。
その日の映画は「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」
収録が終わり、楽屋で母親からの着信に気付き、急いで堺市にある大きな病院に向かった。
タクシーの進みが途轍もなく遅く感じ、事情も知らない運転手さんに「急いでくれ」とキツく言ったのを覚えている。
病室に着くと、シクシクと泣いている母親の横で兄が、冷たくなった祖父の身体を抱きしめていた。
僕は何も喋らず、兄と同じ様にした。
穏やかな顔の祖父はとても冷たくて、とても軽くて、もう祖父は生きていないんだと実感させられた。

数年後に東京の自宅で「ベンジャミン・バトン」を観た時、この日の事ばかり思い出してしまい、映画の内容が頭に入ってこなかった。
祖父は全く数奇な人生では無かったはずだが、子供や孫に愛された幸せな人生だったと信じている。

「あの映画を観た」という経験は「あの日」という記憶と強固に紐付けられ、本当に大切な思い出になる。
40を過ぎて大事な事に気付けた。
これから映画を観るのがもっと楽しみになった。
このコラムを書かせていただいて本当に良かった。
これから先、何本の映画をどんなシチュエーションで観られるかはわからない。
だけど映画のジャンルを問わず、それに付随する思い出だけは、ハッピーエンドである事を望んでいる。
皆様にとってもそうである事を願って。

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