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未熟な社会

「虎に翼」観て思った。


往々にして世界は良くなっている。

まだ多くの問題を抱えた世界。
しかし数字で見ると、ベースラインは良くなってきていることが分かる。

世界は良くなっている。
社会は成熟してきている。
人類は失敗と成功を繰り返し、少しずつ前へ進んでいる。


いろいろな世界の切り口がある中でも、特に法とか権利とか倫理とか価値観といった切り口で世界を眺める。すると現代からみて、昭和初期を描く「虎に翼」はあまりに未熟な社会だ。


破天荒で知られる伊藤野枝の関連本を先日読んだ。

彼女は大正時代を通してバズり、撲殺されて文字通り散った活動家だが、「虎に翼」は野枝よりももっと後の話。

女性が社会に出る黎明期には、出る杭が打たれては出て、PDCAやトライ&エラーという言葉で語るにはあまりに泥臭くスマートでない、血で血を洗う攻防すら繰り広げられたことと想像する。

「虎に翼」では伊藤沙莉さんが、竹を割ったとはこのことかというような快活なキャラクターを演じられているので、時代背景の陰鬱さにメンタルが持ってかれることなく、大変楽しく、気持ちよくストーリーを見ていられる。しかしとはいえ、時代は戦争に向かうきな臭さが徐々に出始める時。

現代の私たちから見て「あまりに未熟」と思える社会がそこには広がっている(ように思える)。

何が言いたいかというと、この先時代が進み、後世の人類が「令和のあの時は目も当てられないほど未熟だった」という時がきても、それはそれでおかしくないだろうな、ということ。

今よりも世界が良くなり続けていれば、
の話だけど。




NHKを観ていることを公然と話すのは憚られるが、どうしても話したかったし、もう話してしまったのだから仕方がない。