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第7話 「逆転有罪判決」は絶対おかしい

日本では、検察側に控訴権が認められているので、一度無罪判決が出ても上級審で有罪になることがある。

しかし、これは「疑わしきは罰せず」の原則に反するのではないか。一度でも無罪判決が出れば、それはもう十分に疑わしいのではないか。

上級審が下級審より正しい判断をするという保証はどこにあるのか。最高裁判事は神様なのか。

しかも、日本ではそれぞれのレベルでの合議制、多数決であり、全会一致ではない。

私は、量刑や法律の適用問題などは、多数決でも良いと思うが、事実認定において、多数決というのは絶対におかしいと思う。

この逆転有罪の制度でどれだけ多くの人が無実の罪に苦しめられ、長期にわたりを戦いを強いられてきたことか。

もう日本の裁判所は、検察のチェック機関というより、検察と協力して、いかに疑わしい人間を監獄に送るか、それしかない考えていない機関になり果てている。

元裁判官の木谷明氏によれば、日本の裁判官は「無罪にするべき事件」で無罪判決を出せる人は10人に1人しかいないらしい。

これを聞いて、もし無実の罪で捕まったら、無罪になる確率は10分の1か、と思ってはいけない。日本の裁判では3人のうち、2人が無罪と言わなければ無罪にならない。であるから、無罪になる確率は、およそ50分の1である。

しかも、この幸運がなるべく上級審で当たらないと駄目である。

もうこれは絶望以外の何物でもない。

しかし、私はむしろ、「10人に1人いれば十分」と思う。

もし、アメリカのように有罪判決が全会一致で、検察に控訴権がなければ、無罪になる確率は78%にまで上がる。

アメリカでは、2度のスペースシャトルの事故を教訓に、技術者の一人でも打ち上げに反対したら、理由を問わず、止められるようになった。

絶対にミスが許されないチェック機構というのは、こういうものである。多数決で決めるものではない。

そもそも冤罪事件というものは、10人中9人が絶対有罪というような事件でおきる。5人が有罪で5人が無罪というような事件はそもそも検察は起訴しない。この貴重な一人の意見を生かすのが、「疑わしきは罰せず」であり、チェック機関としての裁判所の役割ではないか。今の日本の裁判システムはこの貴重な一人の意見を切り捨てているのである。

日本の裁判所はもう冤罪のチェック機関としての役割を果たしていない。

日本では検察が、自身で冤罪チェックしているのが実情だ。検察だって冤罪は出したくない。起訴するのだって、そうとう神経をとがらせてるはずだ。そう考えると、日本の検察はよくやってる方だ。







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