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第5話 推定無罪は裁判官の免罪符。無罪判決を批判してはならない。

推定無罪という概念は、もちろん無実の人間を守るためにある。けして、犯罪者を守るためにあるのではない。

また、推定無罪は、重責を担う裁判官のためにでもある。

「疑わしきは罰せず」の精神を軽視し、冤罪を生んだ場合は裁判官に最大の責任がある。責任は問われるべきである。

一方、推定無罪の原則に従い、無罪判決を出した場合はいかなる理由にしろ批判してはならない。推定無罪は裁判官の免罪符でもある。無罪判決が不服なら、有罪立証できなかった検察を批判するか、法律の不備を批判するべきである。

この免罪符という考え方は、一般人が判決に関与するようになって、さらに重要性を増してきた。

もし無罪判決を批判すると、裁判官や裁判員は、異なる2方向からのプレッシャーにさらされることになる。

1 有罪判決を出して、冤罪を生んだら、被告人の人生を台無しにする
2 無罪判決を出したら、世間の批判を浴びる

非常にやせ細った山の尾根を歩くようなものである。どちらに転んでも命はない。

このような緊張状態では、人間は原則より、その場しのぎを優先する。

有罪判決を下し冤罪を生んだとしても、それがわかるのは20年も30年も先の話である。もしかしたら、一生わからないかもしれない。そもそも絶対ではないが犯人である確率は相当高い。

しかし、無罪判決を下した場合、もうその瞬間から批判される。

こうして、冤罪が生み出されるのである。

こんな原則も知らず、マスコミは平気で無罪判決を批判する。

「〇〇犯罪が無罪になる国 日本」

こんな感じである。

そもそも日本では、有罪率が異様に高い。無罪になるのは1%未満であり、特例中の特例である。その特例をとりわけ強調し、あたかもすべてにおいてそうだと錯覚させる。マスコミのいつもの手口である。

冤罪の第一の責任は裁判所にあるが、第二の責任はマスコミにある。



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