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第10話 無実の証明は、ほぼ不可能。

もし、あなたが無実の罪で捕まったら、この国には推定無罪はないから、あなたと弁護士が、無実を証明しなければならない。

運が良ければ、まれに無罪判決が出る。しかし、あまり期待しない方がいいだろう。実際、無実の証明は難しい。何もやっていないことの証明は「悪魔の証明」とも呼ばれる。

しかし、もし本当に無実なら、警察や検察の集めた証拠の中にはあなたに有利な証拠もいっぱい含まれているはずだ。

しかし、警察や検察はそのような証拠は絶対に出さない。国家権力と国家予算で集めておきながら、自分たちで独占する。

一部事件においては、証拠のリストが提出されるが、タイトルだけではあなたに有利かどうかわからない。また、コピー代に100万円以上請求するという嫌がらせをする。

なんとか、有利な証拠を得られたとしても、裁判では、ことごとく否定されるだろう。何しろ、裁判官はあなたを絶対犯人だと信じ込んでいるのだから。

被告に有利な証拠を提出したとしても、「そうとも限らない」、「だからと言って、検察証拠が否定されるものでもない」。

こんな言葉で判決文は埋め尽くされる。

本来、立証責任は検察側にある。被告側は、それに対して、実際あり得うる反証を言えば、それで十分である。しかし、実際には完璧性を求められる。

いつの間にか、立証責任が、検察側から被告側に移ってしまっているのである。

私は、検察も裁判官も、そして国民も、本音のところでは「推定無罪なんて、守ってられない。そんなことを守っていたら、犯人に裁きは下せない」そう思っているのだと思う。推定無罪なんて建前だと。

私は、それなら、それでもいいと思う。日本は推定有罪の国であり、被告が無罪立証をする。これも一つの考え方である。

ならば、検察は集めた証拠をすべて提出するべきだろう。また弁護士などにも、捜査権を与えるべきだ。被告に無罪立証を強制しておきながら、証拠を隠し、権限も与えない。

建前と本音を絶妙に使い分ける。ほんとうに卑怯だ。







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