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お客が見ている濃淡や目の行く場所の違いが久々に凄まじいので、さっさと戯曲を公開する。

富山県と石川県で演劇活動をする女性俳優三人が、晩秋ぐらいから稽古する暇があるというので、思わず台本を書いてしまって、ユニットを結成して公演にごぎつけた。

Theater Signは、石川県で活動している 横川 正枝(劇団北陸新協/Masa&Kou)と、富山県の虹畑 テトテ(劇団ココロ跡)、長澤 泰子(劇団血パンダ)の三人に、私、仲悟志が台本を書くというユニットだ。
公演、『なんのきざしもない』は、石川県でずっと活発に活動している劇団アンゲルスの本拠地スタジオ犀(金沢市長土塀3丁目24−28)と、富山県では、劇団血パンダの本拠地内川Studioで実行。
2024年は1月1日から能登の地震で、私も富山県氷見市在住なもので、家に被害があり断水も経験していたが、出演者たちも、どちらの会場にも被害は無いということで、公演は予定通り実行した。

私が団長をつとめる劇団血パンダで、富山県内だけでなく、県境を越えて石川県金沢市でも公演を打つ様になって2年ほど経つ。
血パンダの「何も起こらない静かな演劇」は、富山県でもそうなのだが、金沢でも珍しがられる。
これは金沢で観劇してくれている人から聞いたことで、どこまでそうなのかは直に吟味していないのだけれど、石川県には「静かな演劇」「現代口語劇」の潮流が入り込んでくることがないまま、2000年代に突入しているのだとか。90年代に関西小劇場で静かな演劇を模索していた身としては、この頃に東京や大阪に居た人が石川県に戻って演劇をやることはなかったのかと思うものの、感覚的にはその雰囲気も伝わってくる。
富山県で活動している団体を見ても、90年代からこちら、演劇自体の手法については、あまり意識されていない様子が見て取れていて、これはこれでまた別の話。

『なんのきざしもない』も、同じ年齢という設定の女性三人の一幕一場、70分ほどの会話劇。
演劇の押し流していく力を悪用した少々突飛な設定から、ひたすら思考をし、相手を見、反応することを濃密に繰り返していく。手法自体をどうこうする必要なく、ただどう立ち上げるかだけを模索できる稽古場が成立しそうだということで、密度や可能不可能という手加減についても考えずに、勢いで台本を書き、配役も三人に全部のパターンで読み合わせてもらってから決めた。
セリフは常に思考の結果でしかないし、思わず出てしまう反応もある。
一瞬、反応の音や言葉尻で出てしまったやや不適切な強さをどうやって即座に引っ込めるのか、何を受けて、エッジをどう立てるのかと、セリフよりもむしろ、細かな反応の瞬間や力加減で輪郭を強調することに力を注いだ結果、書いていた当初のイメージを越えた関係性の中で生じる意味の深みを発見できた。

観客としてやってきた演劇をやっている人たちは概ね「会話劇」とはこんなものなのか。というところから入ってくる。
否定的な感想としては、「なにが言いたいのか全く伝わってこない」
「いつ終わるのかわからないマラソン」。
肯定的な反応でいえば、「日常会話の様に見せかけて、生きることに真摯で全く無駄のない会話」まで。
完全に集中力を無くして眠りに落ちた人から、どうしようもなく泣いてしまった人まで、そこまであれこれ分布するかという反応のばらけ様が、なにかこう、劇団を結成した初期の頃の感覚にも似て、少し新鮮だ。
そんなわけで、戯曲を早々に公開する。
リンク先は血パンダのホームページ。戯曲のPDFあります。

まだ稽古がし足りないというか、もっとコントラストを上げられる部分、淡くできる部分があると思うので、再演のチャンスを伺っておく。

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