見出し画像

地震 雷 火事 親父

阪神淡路大震災のときは京都で大学生だった。
朝早く目が覚めて、しばらくしたら揺れた。
自分自身に大きな被害はなかったが同級生の多くが被災した。
中薗商店からの安否確認電話に「アパート階段横の消火器が倒れていた」と答えたら、母親は「もっ、火事に、ならんどんかい」と骨髄反射で心配していた。消火器と火は切っても切れない間柄だか、消火器は火を消すもので、消火器自体から火は出ませんよ。

稲妻を目撃したことは何度かある。
金属製の尖った先っぽが付いている傘は小学校で禁止になった。雷が落ちる危険性と目を突かれる危険性のダブル認定。
ピカッと光ってからドドーンと落雷するまで秒数を数えて短かったら近くに落ちる、を確かめようとしたら稲光と同時に轟音。一瞬で真っ暗停電になった。小学校での停電は、銅線で椅子と結んだハサミをコンセントに突っ込んだ「電気椅子事件」以来だった。

中薗商店に泥棒が入ったので次は必ず火災に見舞われるのだと不安な少年時代を過ごした。幸いにこれまで火事の当事者になったことはないが、友人や知り合いが被災者になった事例はある。鉛筆やお米を寄付した。「保険で逆に新築になった」というのを聞いて、よかったー!と子供心に安堵した。

高校3年生にもなって、父親に呼び出されただけで、泣いてしまった。弟は遥か数メートル後ろで正座して震えていた。父はシラフのときほとんど口をきかないが、焼酎が入ると喜怒が出やすい。地元公民館であった町長選挙前の集会(飲ん方)で、再選を目指す候補に向かって「評判悪かで、もう出んな」と言って現場を凍らせた。その話を聞いてますます親父を尊敬した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?