朝って1分あればなんとかなりますよね。

中薗商店の朝はテレビニュースの大音量とオヤジの嘔吐き音で始まります。
完全に私の主観です。

母は7時開店に向けて身仕度を済ませ台所に立っています。
店の営業と家族の朝食作りを同時にこなします。
鹿児島市内とつながっている国道沿いにあるため、自動車通勤途中のお客さんが結構たくさん訪れていました。
味噌汁が吹きこぼれないよう、卵が焦げないように店と台所を行ったり来たりしていました。
完全に私の想像です。

父は早い時間から自室のテレビをオンにして、NHKニュースを流しながら、庭に出てゴルフクラブと竹刀を交互に振りまわしていました。
ある時急にゴルフをはじめて、山から切り出した竹を支柱にしてネットを張り、庭に立派なゴルフ練習場を造りました。剣道の有段者ということは、私が小学4年で剣道スポーツ少年団に入ってから知りました。

祖母は鏡台の前に座り、ゆっくりと身仕度をしながら、私の着替えを用意して冬などは布団の中で温めておいてくれました。しばらくすると仏壇にご飯やお茶をあげて、線香に火をつけてチーン、という音をいまだぬくぬくダラダラと布団の中で聞いている私を、そろそろ母が起こしにやってきます。

店と台所と私を起こしに、このトライアングルを何回も繰り返すのです。朝からクタクタだったことでしょう。昭和の頑固オヤジを絵に描いたような父の朝食の世話をしながら何度も何度も、起きてこない私の所へやって来て大声を出し、「ごめんくださーい」という声で店へ戻って。本当に大変だったと思います。
しかも、数年後に私は2階で寝るようになるので、それからは2階までが母の守備範囲になって、イチローばりのユーティリティプレイヤーとして活躍せざるを得ないのです。ごめんなさい。いま思えば本当にごめんなさい。

結局、時間ギリギリにノソノソと起き出して、チンタラ服を着替えて、ボソボソと朝ごはんを食べるやら食べないやらで毎朝が過ぎていきました。
だって、月:欽ドン、火:なるほど!ザ・ワールド、水:欽どこ、木:ザ・ベストテン、金:週刊金曜日の放送が楽しみで、なかなか寝ないんだもの、そりゃ朝もなかなか起きないぜ。

大人になって都会で暮らしていると、朝の時間はあっという間に過ぎてしまうことが多いです。それに比べたら中薗商店の時代はゆっくりしてたな。
お前だけなー

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