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寿都町 「核のゴミ」問題の現在地

昨年、この問題に関する記事を投稿してから少し時間があいてしまいましたが、寿都町は文献調査への応募を正式決定し、国から同町への電源立地地域対策交付金の配分が決定されるなど、その後、具体的かつ重要な動きがいくつかありました。

当初、寿都町の片岡町長は、「核のゴミ」問題に一石と投じること、寿都というまちを未来につないでいくことなど、文献調査に応募することの社会的意義をしきりに強調していましたが、いざフタを開けてみれば、単に「目の前にぶら下げられたニンジン」に我先にと喰いついただけ。とても残念なことではありますが、どうやらそれが現状のようですね。

核のゴミ問題の本質については、昨年投稿した記事「北海道寿都町 「核のゴミ」問題の本質」を、電源立地地域対策交付金制度の闇については、「国の交付金制度の『闇』交付金に潜む"麻薬的性質"の恐ろしさを参照していただきたいのですが、何より、寿都町がこんな短期間のうちに"麻薬に依存したまちづくり"という方向性を決めてしまったことには、これはもう落胆しかありません。

ただし、「国が地方を麻薬漬けにする」という図式は、全国共通のもの。なにも寿都町に限った話ではなく、この投稿を読んでくださっている皆さんが住む地域に、いつ降りかかってきてもおかしくない問題でもあるわけです。

そこで、「核のゴミ」問題を自分事として捉え、皆さんと一緒にこの問題についての理解を深めるため、寿都町が文献調査への応募を表明してから現在に至るまでの具体的な動きのほか、来月行われる寿都町長選挙が持つ意味などについて、このタイミングで私なりに考察してみたいと思います。

なお今回も、やれ"麻薬"だとか"クスリ"だとか、物騒な単語が何度も出てきますが、これはコトの本質を少しでもわかりやすく伝えるため、あえてこのような刺激的な言葉を選んだのであり、そこに寿都というまちや寿都町民の方々を揶揄する意図は一切ありません。それでも、この投稿を読んで気分を害されることがありましたら、とても申し訳なく思いますが、この点、なにとぞご理解くださいますようよろしくお願いいたします。

文献調査に関連した交付金の使途


寿都町は、令和3年度予算に盛り込んだゴミの処理費や消防の人件費、子育て関連経費などに対し、「核のゴミ」文献調査受け入れに伴う国からの交付金を充当することとしている。

つまりこれは、国からの交付金を全額新規事業に充当して、未来につながる新しい形のまちづくりを進めようとするのではなく、既存事業、特に町民生活に欠かすことができない生活インフラ関連の事業に交付金を充当することにより、今後は、交付金ありきで町財政を回していこうという意思をはっきり示したということ。これでは、「核のゴミ」文献調査の受入れが、当初から交付金目当てであったことを、片岡町長自らが白状しているようなものだろう。

もちろん、寿都町民の総意としてこうした判断がなされているのなら、私のような町外居住者が、議会の承認を経て決められたことに対し、あれこれと物申すのは筋違いなのかもしれない。が、しかし、現状はどの角度から見ても、そこに寿都町民全体の合意は存在せず、片岡町長と文献調査受入れ賛成派議員が、「数の力」によって町行政に係る政策決定を、強引に推し進めているようにしか見えないのだ。

このようなやり方は、決して民主的な手法とは認められないし、実際、町民の中からも多くの批判の声が上がっていると聞く。ただし、このような批判の声が上がることは、「核のゴミ」関連事業受入れ推進派だって、もちろん最初から織り込み済。その裏に、着々と問題の既成事実化を図ることで、批判の声を徐々に抑え込んでいこうという緻密な計算が存在することは、ほぼ間違いないだろう。

「対話の場」「意見交換会」という名の時間稼ぎ


寿都町では、昨年来、「核のゴミ」関連事業をテーマとした対話や意見交換の場を設けている。「対話や意見交換を通じて、町民の分断を解消するのが目的」と言われれば、「なるほど、それはいいことだ」と思わず納得してしまいがちだが、それほど単純な話ではないというのが、私の見解だ。

確かに、今後のまちづくりを町民が一体となって進めていくためには、目の前に突きつけられた難しい課題に対し、賛成派と反対派が膝をつき合わせて話し合う機会は欠かせない。だから、対話や意見交換を行うこと自体に意義があるのは当然であって、その開催に異を唱えるつもりは毛頭ない。

ただし、である。ここで特に注意しなければならないのは、「対話の場」や「意見交換会」が、時間を引き延ばすためのアリバイづくりになっていないのか、ということ。表面上、町は「ちゃんと反対派の意見にも耳を傾けていますよ」という姿勢を標榜しているが、実のところそれは単なる見せかけに過ぎず、本当の狙いは、「核のゴミ」問題の既成事実化を図るために時間稼ぎをしようとしているだけなのではないか。地方行政の内側にいた経験がある私としては、にわかにこうした疑念を抱かざるを得ない。

つまり、表現は良くないが、交付金という麻薬に溺れる時間が長くなればなるほど、クスリ依存から足を洗うのが難しくなるということ。「核のゴミ」関連事業受入れ推進派は、あえてそれを狙っているようにさえ、一歩引いた立場からは見えてしまうのである。

受入れ推進派が描く既成事実化までのシナリオ


「核のゴミ」関連事業受入れ推進派の狙いは、ズバリ、問題の既成事実化だ。邪推と言われるかもしれないが、彼らの胸の内には、おそらく以下のようなシナリオがすでに出来上がっていることだろう。

Step1
批判があろうがなんだろうが、一丁目一番地の取組として、まずは町民生活に欠かすことができない生活インフラ関連事業に、文献調査の受入れに伴って国から配分される交付金を充当する。

Step2
これにより、令和3年10月26日に行われる寿都町長選挙戦において、片岡氏が「今後、国から『核のゴミ』関連の交付金が交付されなければ、町民生活に大きな支障が出て大変なことになる!」とアピールし、その一方で対抗馬となる候補者には、「『核のゴミ』文献調査の中止を主張するなら、交付金に替わる財源を具体的に示せ」と迫って、選挙戦を有利に戦うための布石を打つ。

Step3
片岡氏が首尾よく再選されれば、民意の負託を得たとして、以降しばらくは粛々と行政運営を進める。そして、次のステップとなる概要調査、精密調査に進むべきかどうかを議論する頃には、交付金なしでの町政運営はもはや立ち行かない状況になっている可能性が高いから、当初は文献調査の受入れに反対していた町民の大部分が翻意するか、あるいは同調圧力によって受入れ反対を声高に叫びづらい状況が生まれるのをひたすら待つ。

Step4
これにより、以降は、寿都町民の総意として、概要調査、精密調査、最終処分場の誘致へと突き進むことが可能となる。


まあ、だいたいこんなところだろう。もちろんこれが単なる邪推であれば救いだが、はたして推進派の本音はいかに……。

10月の町長選挙の結果が寿都町の未来を決める


来月の町長選挙で片岡町長が再選されるということは、上記のシナリオが現実のものとなることを意味する、私はそう信じて疑わない。つまり、来月の町長選挙は、寿都というまちの未来を左右する今までにない大事な選挙になるということだ。

それと同時に、近隣の自治体の住民のほか、広く道民にとっても重要な選挙になるにわけだから、自分が寿都町民でないからといって、決してこの問題に無関心でいいということにはならないだろう。私も含め、町外居住者に投票権があるわけではないけれど、多くの人が選挙戦を注視している状況をつくり出すことはとても大事。そうすることで、きっと寿都町民の方々が、より冷静な判断を下しやすい環境が醸成されるに違いないと私は信じている。

一点、誤解のないように付け加えておくと、私がここで言いたいのは「寿都町民の皆さん、なにがあっても片岡氏を再選させてくれるな!」ということではない。寿都町に横たわる行政上の課題は、何も「核のゴミ」関連にとどまるものではないのだから、シンプルに、各候補者が主張する政策の中身を総合的に判断してもらえればいいわけだし、理論的には、今回の選挙では片岡氏に投票した上で、次の寿都町議会議員選挙における投票行動で、「核のゴミ」問題に対する民意を示すというやり方だってありうるからだ。

つまり、次の寿都町長が誰になろうとも、その選挙結果が尊重されなければならないのは当然のこと、「次世代の人々が安心して生活できる地域をつくるためには、この人!」という基準で寿都町民の方々が選んだ候補者なら、町民の投票行動について、部外者が軽々に批判することは避けなければならない。

唯ひとつ、寿都町民の方々にお願いすることがあるとすれば、今回ばかりは、誰に投票するかを自分の損得だけを基準にして決めないでほしいということ。いささか釈迦に説法ではあるのだけれど、是非とも、この点にだけは留意して投票行動を取っていただけないだろうか、北海道という地域を愛するひとりの人間として、私は心の底からそう願っている。

寿都町は魅力いっぱいのまち


今回の一件で、期せずして「寿都町」の名が全国に知れ渡ることとなったが、もともとの知名度は、率直に言って北海道内でも真ん中よりも下のほうであったと思う。

だが、「核のゴミ」関連の交付金に依存しなければまちの存続が脅かされるほど、地域資源に乏しい自治体なのかといえば、決してそんなことはない。全道各地を渡り歩いている人間として、そう断言したい。


寿都と言えば、日本海に面していることもあって、もともと水産資源が豊富なまち。名産の牡蠣は「寿かき」としてブランド化されており、全国の食通をうならせるハイグレードな逸品だし、5月に漁期を迎える小女子のシラスとその加工品は、知る人ぞ知る地域の名品だ。

ちなみにコロナ前の話にはなるが、私自身も、ゴールデンウイーク中に寿都のまちを訪れては釜揚げシラスや寿かきを購入し、ほぼ毎年のように旬の味覚に舌鼓を打っていた。自宅から車で片道3時間かかっても、年に一度は必ず食したい至高のグルメ。そんな替えの利かない「食」の魅力が、この寿都というまちには確実に存在するのである。

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実質上は次の選挙がラストチャンス


確かに今の時代、「食」の魅力を全面に打ち出すだけで、他の自治体と差別化を図ることは難しい。それゆえ、まちの財政状況がすぐに好転することがないのは確か。今までだって、やれることはやってきた。文献調査推進派は、おそらくそう言うのかもしれない。

それでも、安易に麻薬に手を染めるくらいなら、その前にもっとやれることがあったはず。寿都町以上に地域資源に乏しい自治体の血のにじむような努力を目の当たりにしてきた私は、つくづくそう思う。

悲しいかな、10月の町長選挙と次回の町議会議員選挙が、地域自らの意思でクスリを抜くことができるラストチャンス。こう表現しても、決して言い過ぎではないはずだ。もしここで勇気ある撤退を選択しなければ、この先、寿都町は、原発立地自治体がこれまでに歩んできた麻薬依存の道を、ただなぞるだけになってしまうだろう。

「食のまち」から「核のゴミのまち」へ。寿都という魅力的な地域が、きちんとした議論もない中で、なし崩し的に変貌を遂げていく姿を目にするのは、あまりにつらすぎる。そう、寿都町における「核のゴミ」問題は、今まさに、佳境を迎えているのである。

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※ 次回の投稿では、寿都町に隣接する自治体や後志地域にまで対象範囲を広げ、「核のゴミ」問題の今後について、さまざまな角度からさらなる考察を加える予定です。

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