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代官山蔦屋書店で、ハタチの誕生日を想い出さなくなった朝


先日こんなnoteを書いた。


いきおいに任せて書いたこんなくさいnote。恥ずかしいしタイトルも何言ってんだ?って感じだからあまり読まれないだろうと思ってそっと置いていた。
けど意外にも、私の記事の中ではいいねを結構多くもらって、それも投稿後2週間経った今でもちょこちょこ読んだりしていただいている、うれしい。

そんな私の想い出の場所、代官山蔦屋書店に、最近また行った。

前回と同じ朝活のイベントだったので、前と同じように朝5時過ぎに起きて、朝日が差し込む蔦屋書店に行く。

あー1週間半前にも来たばっかりだな、前はどこから通って行ったんだけ。あ、そうそう、この道だ。ここにはこの本があって…。

そんなふうに思いながら会場に入って、イベントが終わって本屋を少しだけうろうろして。

ふと気づいた。
ここにきて、ハタチだった3年前のことはもう、今日は思い出していなかった。
(それを思い出したという意味では思い出したけれど笑)

今の景色と過去の景色が一気にリンクして想起されるあの感覚は、もうなかった。やってみようと思って、できるものでもなく。

ただ、前回行かなかったゾーンに行ったら、やっぱりまた3年前の記憶がブワッと蘇った。
そしてもうこれは最後なんだろうな、次に来る時はもうこの感覚はないんだろうな、と思った。

この景色はもうひとりでの思い出に塗り替えられて、3年前のことはどんどん、薄くなっていく。

宝箱に、懐かしい匂いのする空気が閉じ込められている。
それを開けると、ブワッとそこに過去の匂いが広がる。自然と過去に思いを馳せてしまう。
そして、その宝箱を閉じる。

1週間後、また同じ宝箱を開ける。もう匂いはしなくなっていた。
蓋を一度開けたら、空気は全部逃げていってしまった。

そんな感覚だった。

こういうふうに、過去って忘れていくんだろうな。

宝箱にずっと閉じ込めておけば、空気は逃げない。過去もずっとそこにいてくれるかもしれない。でも、開けなかったら思い出すこともない。
そして一度開けたら、色濃く過去を連れてきて、そして今と混じって薄くなって、消えていく。

特別悲しくもさみしくもないけれど。

思い出ってどんどん薄くなる一方なんだなって気付かされた。
それはゆるやかなカーブで下がるのではなくて、急降下なんだと言うことも知った。

そんな、人生3回目の、代官山蔦屋書店でのきづき。


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