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大河ドラマ『光る君へ』(15)「おごれる者たち」の感想

 藤原兼家が亡くなり、中関白家が権力を牛耳っていくように・・・。
 兼家の跡を継ぐために、清らかなままで関白の座についた道隆。
 清少納言が定子の女房になり、きっと少納言が感激したように、定子は聡明で美しくて、そして、定子のサロンは華やかだったのでしょう。

 でも、その裏では、中関白家への不満がどんどん積もっていくのでした。
 (ちなみに中関白家という呼び名はのちにつけられたものです)

『大鏡』の弓比べ

 道隆の屋敷で行われた弓比べで、道長が伊周を負かす『大鏡』の話。ただ負かすのではなく、道長が
「道長が家より、帝・后立ちたまふべきものならば、この矢あたれ」
と言うと矢は命中したのでした。
 これに怖じ気づいた伊周の矢は的に当たりませんでした。
「摂政・関白すべきものならば、この矢あたれ」
矢は的が壊れる勢いで命中。
 次は伊周の順番だったが、道隆はやめさせました。
 権力の絶頂にある道隆の前で、道長の豪胆ぶり。
 
 一方で、劇中の道長は、「くだらない」と思っていたように見えました。
 この頃の道長はまひろをあきらめた代わりに、仁政を目指していて、この時も、道隆に注進するために来ていたのですから。
 甥っ子の鼻っ柱を折るつもりだったのでしょうか。
 
 まさかこの戯れが本当になるとは、道長も思ってはいなかったでしょう。

出仕を拒んだ道兼

 兼家の後継者になれなかった道兼は、自暴自棄になり、出仕しなくなります。妻の繁子と娘の尊子は屋敷を出て行きました。誰もいなくなり、食事もままならなくなった道兼は、公任の屋敷に転がり込みました。
 花山天皇のように、自らも仕える者達は去って、孤独になってしまったのです。
 父に認められたい一心でここまで来たのに。

 それは、逆に、父から解放され、自由になったということ。
 今まで虐げてきた弟が、自分を避けていたはずなのに、手を差し伸べてくれた。参内した道兼は、悪いものが落ちたように、晴れやかでした。

 とてもよかったのだけど、この頃の道兼には、藤原遠量の娘でいとこにあたる妻がおり、まだ元服していない嫡男兼隆や子女がいます。尊子のことはあまりかわいがっていなかったと。
 その通りなら、繁子と尊子は別居していたと思うのですが、そして、兼隆はまひろの娘賢子と結婚するのですが、そのうちわかるでしょうか。

石山詣で

 まだ自分の道に迷い続けるまひろはさわと石山詣でにいきます。
 そこで、道綱とその母寧子に会いました。なんという偶然。源氏物語は蜻蛉日記の影響をうけている部分もあるとの説もあるので、余計に、素晴らしい出会いでした。
 
 妾はつらいから、妻になりなさいと寧子に言われますが、まひろは将来、よく知るオジサンだった藤原宣孝を夫にしてしまいます。
 
 どういう経緯でここまで結婚を考えていなかったのに、自分と同じくらいの子もいる父親ほどの年齢の男を夫に選んでしまうのでしょうか。

 理想は裏切っていく。
 そのようなところが、このドラマには、ある気がしてしまいます。

参考:石川徹校注 新潮日本古典集成『大鏡』


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