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生きることと、死なないことは、違う。

(大切な人を亡くした昔話ですので、心を乱してしまったらごめんなさい)

今となっては昔のことだが、近しい大切な人が亡くなった時のことを、ふと思い出した。

大病を患い、数ヶ月の化学療法へ挑んだ果てに、力尽きたのだった。

当時20代だった私は、家族のひとりとして主治医の先生の説明に必死で耳を傾け、当時の私なりの知力を総動員して、現状を理解し未来の可能性を想像しようとした。原発部は消化器系にあったが血液の病気へと転化したため、手術すれば治るものではなく、様々な化学療法の試行錯誤に賭けるしかなかった。しかし、蝕む病の悪性度が強烈すぎて、当時の医学では太刀打ちできないとさえ、言われた。

本人にどう伝えるかは、こちらに委ねられた。

早い段階で病名は伝えることができた。彼もそれを受け入れ、治療に取り組んだ。けれど、今後の展開がまったく読めないほどの予後の悪さについては、やっぱり最後まで言えなかった。

抗がん剤の投与が一通り終わると改善する体調。しかしほどなく、週ももたずに再び悪化する。今度は違う薬を試してみる。少し良くなる。しかしまた、悪い意味で元へ戻る。病名を告知され、いったんは受け入れた本人も、予想外に長い治療期間と、その割に上向く気配が無い体調から、次第に疑念と弱気を抱き始めた。

けれどやっぱり、どうしても、どうやっても、実態の全てを伝えることはできなかった。今でもたぶん、言えないだろう。

そしてある日、真夏の太陽が昇ってくるのと合わせて、力尽きたのだった。彼と私、そしてもう2人の家族。それぞれが流す計8本の涙の筋が朝日で光っていた光景は、今でも恨めしくてたまらない。

半年以上にわたる治療。その最後のひと月ほどは、私の口からは言いたくないほどに壮絶だった。未来が望めないのに、こんなつらい治療をさせ続けることが、つらくてたまらなかった。むなしい「がんばって」を、一体何度言ってしまっただろう。でも、この命の灯が消えてしまうことに対峙することの方がもっとつらくて、怖かった。

弱くて、わがままで、本当にごめん。

「生きることと、死なないってのは、違うんだよ。」

私が大好きなドラマの主人公が、死の汀で苦しむ患者の治療方針について、別の医者と議論する場面で放った言葉だ。ベッドの横に寄り添う私の頭の中で何度もこだまして、おさまらなかった。あれから何十年経った今もまだ、心に刺さって抜けない。今また同じ状況に置かれたらどうするのが最良なのか、答えは出ていない。

あらわな言葉にはしなかったけれど、私が私の人生を楽しみ、実りをあげることを、いつも願ってくれていた。しかし、実りをあげることができたと伝えることは、ついにできなかった。

いや、実のところは分からない。私自身は実りと自覚していなかった些細なことでも、彼は私が実りを得たと認めてくれていたのかもしれない。でもやっぱり、自分で自信を持ってそう言えることを、一度は伝えたかった。そしてその反応を、見たかった.

今なら、伝えられることはいくつかある。しかしもう、それは永遠に叶わない。

もしあの時、病気について何もかも正直に伝えていたら、受け入れてくれただろうか。褒めてくれただろうか。もしかしたら、奮い立って奇跡のような良い予後へと転化しただろうか。いつかのように、「話してくれてありがとうな」と、その大きな手で背中を撫でてくれただろうか。

答えは誰も知らない。あなた以外に。

そのお金で、美味しい珈琲をいただきます。 ありがとうございます。