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紅く輝く白鳥である。(映画『ミッドナイトスワン』を観て)

 ジャニーズというのは綺麗な顔の男の子を集めた事務所なので、ロングのウィッグひとつかぶせただけで即、そこらの一般女子より美少女になってしまうような少年たちがわらわらいる。元同僚に限っても、中居君がスマスマでやってた「計算マコちゃん」とか普通に可愛かったし、キムタクだってこれとか、だいぶ綺麗な女性に見える。

 そんな中で、草彅剛は明確に「男顔」だ。がつんと出た頬骨に尖った鼻、鋭い目。
 まあ、女性の体で生まれた人、その中で美人と呼ばれる人の中にも男顔の人はいますし(冨永愛と草彅剛って似てるよね)、造形は整っているので綺麗は綺麗なんですが、それでもやっぱり、多くの人が見慣れている大多数の「女の子」の中では、やや浮く。

 それが、本作の凪沙の痛みをすばらしく表していて、顕しすぎていて、観ていてつらかった。
 ホルモン注射の副作用を別の薬で抑えながら「なんで私ばっかり、なんで私ばっかりこんな体で」と泣く、その顔。

 これが志尊淳だと違うんだよね。『女子的生活』よかったけど、志尊淳では凪沙の役はできない。あの可愛さが痛みを緩和させてしまう。そうじゃないんだよ。男顔の草彅剛が凪沙だってのがいいんだよ。

 お金を稼ぎたくて、度合いのきつい風俗業に手を出そうとして、たちの悪い客に伸ばされた手を振り払い逃げる姿。一果を迎えに九州まで帰った時、いとこであり一果の母親である早織の彼氏(だよねあれ)に服を引っ張られて胸元をはだけさせられるシーン。女性の体で生まれた女性である私だったら相手を殺したくなるあの瞬間、凪沙もきっと同じように感じたんだろうと思った。

 最初は疎ましく思い、ぞんざいな扱いをしていた一果にバレエの才能があると知って凪沙が抱いた思いは、母が娘に見る夢と多分とても似ていて、しかし女性の体で生まれた母親が抱く夢よりもっと、自ら叶える可能性が絶たれているだけずっと、濃かったんじゃないだろうか。
 一果は真昼に輝く太陽の下で羽ばたく、真っ白な白鳥だ。真夜中にだけそっと羽根を震わせる凪沙は、まばゆい夢を真昼の白鳥が叶える姿を一目見たくて、自分の羽根を引き抜いて一果に差し出した。伸ばしていた髪を切って作業着を着て力仕事をして、ヘルメットに健二と名前を書いてでも。

 白鳥という名の映画だけれども、赤という色がとても効果的に使われていた。凪沙の真っ赤な唇、コート、一果を迎えに行ったときに服の下にまとっていたブラジャー。病に蝕まれ起き上がることすらまともにできなくなったその下腹部を覆っていたおむつ、を汚した血の色。

 白鳥といえば「見えるところは優雅で美しいけど、水面下で必死に足をばたつかせている」として、見えない努力の比喩として用いられる。
 トランスセクシャルである凪沙や、彼女の同僚であるショークラブのキャストたちはみんな、女性の体を持って生まれた人々よりも太い骨格や低い声、放っておけば生えてくる髭を努力で隠して、注射を打って体内の作用をねじ曲げ、客の前ではきらびやかなドレスを着て笑う。

 彼女たちはみんな、紅く輝く白鳥なのだ。


※ということで観てて痛い作品だったので、痛みを緩和するために無粋な突っ込みをひとつ!
 親戚とはいえ1K住まいの独身男性に中学生の女の子預けるのってすごいよね。凪沙だったからよかったけど、普通に健二おじさんだった方がまずかったのでは。一瞬「もしかして凪沙のこと知ってるのか?」と勘ぐっちゃったよ。

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