書くリハビリ
まぁ、好きにやるのも良いんですけどね。
そういうのって幼い頃は子供のわがままとされ、親や大人からは矯正する働きかけがあるとは思うのですが・・・。
例えば、言いたいことを言うにしても。
言いたい!=衝動的、衝動性
好きなことを言えた満足感=成功体験
周囲に与えた影響はガン無視、自分の満足で終了=注意欠陥
言葉を変えるも、内容は変わらないままホイホイ言う=多動性
素人目だし、素人判断かも知れませんが。
ちょっと、これはやっぱり、発達障害について国なり、厚労省なりが動いてくれないかなぁ、と。
個人的には思ってます。
下手すると、ね。
発達障害を持ってる人が身近に居るにも関わらず、上手くコミュニケーションが出来ないだけでなく、影口叩いたり、表情や語気、語調、声色ほか様々な部分で見下すというネガティブさを叩きつけてる。
そういう人も居るだろうし、話題になった意味があまりないというか。
やっぱりこう、名前だけ知って、本質にせまらないからこうなるのでは?
そういう思いを、述べてみたいと思います。
幼い頃から出来すぎた身として
ホントこう、色んな経験してたりします。
と は い え
年齢不相応みたいな感じでも扱われるし、もう目にした時点で自然と行動に出るだけの結果が、良い悪いの評価につながってるだけで、普段からそういう行動をしてる=私はそういうタイプの人間という、ね。
この子はそうなんだ、この人はそうなんだ。
受容とか、肯定をされたことが、本当に一切ありません。
まぁ、自分と違うから不思議というのはわかるのですが。
小学生時点でも問われようものなら、ちゃんと自分の言葉=言語化して答えてたんですよね。
それに対して、出来すぎだなんだいわれるだけでなく、小学校高学年=5、6年の頃の担任が最悪だったというか、ほんとにね。
そういうので、危機感感じたのか、ヒステリックでカッとなりやすい担任の攻撃の的になりました。
こういうのも、ね。語調だ、声色だを言うくらいですから、気づいてるんですよ。そういうので、何だか良くわからないけど、敵視されてる、だからこそイライラした時に、何でか自分が不利益を被る、と。
当時は確かに過敏性腸症候群なんてなかったです。
でも、ただただお腹が痛いだけでなく、授業中でもトイレに行かなきゃ大事なのでよくトイレに行ってたんですよ。
で、ある時、ちょうど昼時にそれが出てしまったので、給食が食べれなかったんですね。そしたら、
「言い訳しないで全部食べなさい!!」と、キレられ。
机の前に立って、鬼のような顔をして見おろされながら、
「全部食べるまで休み時間抜きです!!」
って事もされてたりします。
また、担任の不注意で腕全体にギプスをしてるようなクラスメイトに配慮せず、1年間の委員・係の担当決めを、希望者するもので被ればジャンケンして、と。
一斉にやった結果、腕にギプスをしてる子が残ってしまい。
大して考える間もなく、私を名指しして、貴方が変わりなさい、と・・・。
まてまて。他に負担の少ない委員会あるし、そもそも先生のミスでしかないわけですが、ほんと、ね。
「貴方は困った人を無碍に扱うのか!!」
(゚Д゚)ハァ?
痛みについては、無理やり食べさせられるわ。
自分のミスの挽回の為に、避けてた委員にならされるわ、と。
ホントこう、その時その時。
感情に流されるがまま。
現実や状態どころか、体調の観察すらもなく。
一方的に、悪とされ言葉や感情を叩きつけられる、と。
鉄棒の逆上がりなんかも、出来ない子は出来るまで、というのは良いとしても。
他の生徒を全部鉄棒前に残して、全員が終わるまで他のことをさせません、と。
見世物にされました(´・ω・`)
また、ね。一部のクラスメイトからは、アイツ等が出来なかったから体育の授業が潰れた、と。言ってないふりを装いつつ、聞こえるように叩かれる、と。
とんでもねぇ、小学校だなぁ、おい!という2年間を過ごしたんですよね。
と、少し漏れてしまいましたが。
同級生にしても、先生や大人にしても、そこまでやらなくてもとか、良い子ぶりっ子、そんなのありえないからおかしい、嘘つきと。
はぁー。
だから説明してるというか、普段は真面目だ真面目だ言う取るのに。
その元の原因が、違いすぎると、叩きにくるってのは、流石にねぇ。
小学校高学年にもなったのに、まだまだ幼稚園生レベルでは?と隠して思ってたほど。
かつ。
自分はそこにいなかったとか、自分は違うとかも、ね。
違うも何も、お前は違いすぎと人を集めてでも叩くようなので、同じじゃん?にしかならない。
そういう経験を、しこたま積んできてるので。
発達障害というだけでなく、AD/HDについては思い当たる節が、過去の記憶だけでなく、社会人になった時点でもゴロゴロあって。
大人のAD/HDなんて言葉がでたのも、納得よね・・・。
とすら、妙に実感めいて感じてたりするんですよね。
ただただ言うにしても
言いたいからでは、理由にはなりません。
何で言いたいのか?と。
何も理由がなければ言いたいとすら、思わないと思います。自分と違う人が気になったことを口にしても、同じ様に思えない、そういう事もあると思います。
そんな感じでね、人それぞれ感じ方が違うだけでなく、言いたいことも違うし、ただただ言うにしても、
何を見て聞いて感じて言いたくなったのか?
どうしてそれを言いたくなったのか?
それを言うとして、口にした理由は何故なのか?
と。
HSPで言うなれば、深い処理という部分ですかね。
5W1Hではないですが、何があって、相手がどうあって、何故それを?と掘り下げられてしまうんですよ。
また、感受性が高いと周囲に言われる程度でも、そういう部分を求められると、
周囲が驚いたり、不思議がったりするほどに、掘り下げて説明するのが常、です。
あくまで個人として、そうあるだけですけどね。
とはいえ、自由だからと好き好きに言うだけで、自分は満足するだけでなく、ほかは知らないなんてのは・・・。
衝動的かつ、周囲に対して注意が欠陥してるし、言うにしても言葉が変わってるだけで同じことをホイホイと言ってしまうのは・・・。
流石に、これはAD/HDの可能性あったりしない?と考えるんですよね。
何の理由もなく、突然言葉を発するなんて、ほぼほぼ無いと思います。
言うからには、相応の根拠がありますよね?だけでなく。
一方的に相手が悪だというなら、明確な根拠・論拠を示さないと、言う側、追求する側が正しいなんてことにはなりませんよ?
個人の経験の中でも、何度と無くこういう経験をしてきてます。
言うのは良いんだけど、何で言ったの?に対して、明確な答えが返って来ない=言語化出来ていない、可能性。
それ程にね、返ってこねぇんだ。
幼稚園の頃を振り返って、上手く言えない子達との経験を参考に、逆にこちらが問いかけて聞き出しても、一定ラインを超えると答えられなくなる。
結果、逆ギレします、ハイ。
そうなると。
言って満足してるだけだし、それは個人の満足どころか、言われた側は不快だったり、恐怖だったりで、ストレスという不利益を受けるわけだけど。
言ったからには、吐いた唾は呑めぬ。責任とるよね?
正しいと思って、言いたいことを言ったら、返り討ちに合うという、策士策に溺れるどころか、策を弄さないと・・・
ダメでしょ?(今でしょ風)
こういうのがね、因果応報とか、自業自得という、自分の言いたいをやって結果、周囲や他者に不利益を与えてるのに、言論の自由だ、権利だとすり替えてまで正当化するなんてのは。
流石に子供のワガママどころか。
敢えて目を背けて病院に行っておらず、それ故に見逃してしまってる事になりませんか?と思いますよ。
うん。
せっかく知られたのに
うつ病にしろ、発達障害にしろ。
本の出版とか、動画の広告収入とか、なんかこうお金にするところしか、現状の利になってないと思います。
未だに、こう、ね。
私の場合、流石にパニックによる発作とか、過呼吸や中身が出ないとは言え嘔吐する様=空嘔だったり、突然うずくまったりするほどあるのですが。
普通とか、当たり前とかを求められてた時期も長かった、デス。
知らないわからないと言いつつ、知ろうとしてくれない。
そんなのはわからないと逃げるばかり。
また、別のケースだと、気の所為だ、考えすぎだというのは良いけど、言うという判断をしたのは何故か?と、問うと、
そうなるのが一般的だから。
うん。目の前の私はどうですか?一般的にハマってないですよね?
何故、一般的にハメるのか?
そうはいってもそれが普通だから!!!
(゚Д゚)ハァ?
そういう精神疾患だけでなく、HSPなんかも、ね。変なことになってますし。
HSPなんて、個人がどうこうではなく、人が持つ感受性はどうあるか?を知ってもらえるモノなのですが。
これじゃ、ホント知られる意味ねーわ!!!
ホントこう、ね。
色々触れてると、ほんと色々見えます。
最近だと知られるようになったからか、少年犯罪については、発達障害というワードが出るようになったものの、その裏には親の対応や虐待という部分があるなんてのは知られない。
自分は知らない、ではなく、当事者は当事者故に一瞬でも目に映ろうものなら気づくと思います。
だからこそ、心配して、相談できる人に相談したら、解説動画を上げてくれて安心した。
そういう光景も実際に現実として、目の当たりにしてたりします。
そういうのを見てね?
知られる、認知されることの意味、それによる有益性はどこに言ったのか?
と疑問を持って追うと。
話題性、話題になれば良いというメディアの姿勢。
それをもって、言いたいことを言う、それを自由だ権利だとのたまう様々。
なんですかこれは・・・・?
というものが、様々に見えてしまう、と。
また、言いたいことを言うというのは、政治的な理想や意図からの誹謗中傷、自分が言いたい相手には言葉汚く罵るも、仲間内がやらかすとダンマリという、ね。
あらあら、これはいけませんねぇ?というものも見えただけでなく。
繊細さん、すらも、声を上げた芸能人の行動から、裏にそういう政治的意図があり、権利だなんだと騒ぐ側でもあるから、HSPという言葉を次の神輿として。LGBTQがあまり振るわなかったからか、持ち出したのでは?
という、疑念すら持たされるハメになる、と。
何この、悪循環ループ、っていうね。
とはいえ、あくまで個人が現実を見ての事なわけで。
これをもって正しいだ、何だ言うわけでもなく。
そうある世の中に対しては、強い疑問を持ってるんですよ、と。
問題提起をしてみようと記事を書く。
まぁ、ねぇ。
見出しにも書いたように。
知ってもらうことで、環境を変えて、持つ側持たない側双方の負担を減らすという当初の目的(おそらく)は、どこに言ってしまったんでしょう?
知られたは良いけど、寧ろ不利益、になってないかなぁ?と思います。
あとがき
ちょっとこう、触れ方が難しいというのを感じながらも。
単なる感傷ではなく、現実を持って触れることで、問題提起になればいいなぁ、と。
今回は、発達障害というか、AD/HDよりで触れてみました。
でも、知られた割に不利益があるというケースは、どの症状であっても発達障害でくくられる症状では変わらないのでは?と思います。
あくまで個人が触れてきた中では、図解により簡単に説明されてるだけでなく、単一の症状のみではなく、被ってるグレーゾーンみたいな部分もあるのが実情というのも、わかりやすいかなぁ、と思います。
また、実際これを紹介してる場にいましたが、当事者の方からも評判が良かったんですよ。以降、この図がある厚労省のページを使うことも意識するようになりました。
うん。
うちの父も、ね。
もう、高齢なので敢えて本人への言及はさけてますが。
ASDとの被りを含んだAD/HDかなぁ?という感じだったりします。
病院に行くにしても、治療するにも時間がかかると思いますし、年齢を考えると、なにはともあれ今まで付き合ってきたのだから、と。
治療による負担よりは、今までで居てもらってもいいのかなぁ、と思います。
辛い部分はありますけどね。
カッとしやすいわ、話は聞かないわ、話してても自身に有利な部分だけはちゃっかり抑えてるわ。
また、普段は言わないのに突然のように思い立って言ってきたり。
食事の準備も共同作業といいつつ、自分のしたいことだけ、しかも極々簡単な作業を一つずつしかこなせないし、台所狭いのに包丁使ってる私にガンガンぶつかってきたり、と。
それでいて、職場=化学系では得意というだけでなく好きだったのか社長表彰されてたり、趣味のゴルフは結果に満足せず、またゴルフだけは自分の至らない部分を認めるんですよねぇ。
まぁでも、母の闘病生活は、逆に地獄でした。
母が苦しんでるのに、直接言わないだとか。
お前の言うとおりにしたら、俺がしたいことが出来ないとか。
看病は誰のためにするの?と問うともちろん母の為というのに。
そういうのを当たり前と言わんばかりに続けた父は、母がもう来ないように上手くやってくれない?と避けてしまう結果にすらなりました。
こうやって書いてしまうと、悪者のように見えますが、うちの父の場合衝動性が強くて、兎に角即座に頭の血が上るばかりなので、対処が難しかったんですよね。
かと言って、発達障害とかAD/HDだとかは言えないし、病院に行くように勧めようなら、即座にこれまた怒る、と。
こういう部分は、第三者を挟んでも頑なに認めないタイプでもあるし、だからこそ老いたからこそ顔を見せて欲しいという父方の祖父母=父の親の声にも応えなかったほど、です。
うん。
まぁ、ね。
遅くなっただけでなく、父の世代は発達障害どころか、精神疾患すら忌避されてたし、だからこそ噂話であの人は終わりみたいな話をしてるのを、幼い頃に社宅で耳にしたほどです。
そうあると、難しいんだ。
あとになって知るほど、認められなくなるのも人間。
そうなると、何がどうあれ病院で診断をもらって向き合ってる人に対し、あまりにも特をしすぎでは無かろうかね?とも思います。
知った所で、理解も難しければ、受け入れるのも難しい。
名前も発達障害だったり、ASDやAD/HDとはいえ日本語にしたらどうなるんだ?からは嫌なイメージってついてしまう。
それに対し、粘り強く理解を訴えることもなく、話題になりそうなところだけを持ち上げて、そこを目立たせることで他を見えないようにしてしまうメディアの在り方。
悪循環がもう、あちらこちらに、転がりすぎてる。
意識して無くても、気にして無くても、見聞きすれば少なからず溜まるもので。
それが突然でてしまうことで、街中で知らないおじさんがキレた!みたいな事にもなるのですが。
正しいも、間違いも、違う者同士であれば違うものになるので、一方的ではダメなのに、何でそんなに一方的かつ断罪的なのか?
そんな、ね?
一方通行やってると。
最弱にして最強にぶん投げられて大負けし、見捨てられる事になるという、なんだよこれ、禁書目録?というのが、今の世の中の一部かなぁ、と。
そう思うので、ね。
あくまで個人的にというのも、問題提起という言葉すらも、ときに嫌う人がいるのも、さもありなん。
なので、そういうあくまで個人的という言葉の目的以上に、考えてもらえたら良いのかも知れないなぁ、という。
そんな感じなんですよ。
と、最後にこう色々もれましたが。
父のことについては悪く言うのが目的でなく。
あくまで可能性とはいえ、育った時代の違いがある分、後々になると成長過程で自然と治まるどころか、悪化するものもあるのでは?という。
そういう話なのでね。
それをもって、責めるとかしないでくださいね!
ということで。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?