大学院生、ゼルダの伝説をプレイする――リアルとヴァーチャルのはざまで

ステイホームとは言っても、家での過ごし方なんて普段とそう変わりはしないものもある。
例えば飲み物。
すっかり寒くなった。
冬と言えば、朝には白湯を飲んで、ゆっくり身体を起こしてあげたい。そのほかの場面では、僕はひたすら紅茶を飲む。勉強中でも、夜寝る前でも。砂糖は入れない。ミルクを入れてミルクティーにする。忘れなかったらティー・イン・ミルクの順番に淹れる。
夏だったら、冷たいルイボスティー。一人暮らしを始めて最初の夏、ルイボスティーの味も知らないまま水出しをしたのだった。
そして、夏でも冬でもだいたい家のドアを開けて、外を眺めながら何かを口にしたくなる。

僕は、とある修士の大学院生である。
そんな僕にとって生活環境の何が一番変わったかというと、住むところ。
大学の講義は当初すべてオンラインで行われることとなったので(現在は一部対面も再開)、下宿先から実家に戻ってきたのだった。実家に移ることで最も問題となるのは、持ち物は必要最低限で、自分の持ち物すべてを詰め込んだような自分だけの空間にいられないこと。しかし、それでもなんとか実家の物置と化した一室を開拓して使えるようにしたり、弟の部屋で寝泊まりしたりして暮らしている。

生活環境が変わったことで、家族と過ごす時間が増えたことも、変わったこととして挙げられる。特に、僕は姉として、弟とかなり仲がいい。弟の部屋に住み着いているせいで、弟が友人たちとしている電話なんかしょっちゅう聞こえてくるような状態で、お互いについてはだいたい何もかもを共有してしまっているのだ。

もう一つの変化。じつは今年の夏休み以来、僕は珍しく久しぶりに実際にゲームのプレイにもはまり込んだ。「ゼルダの伝説 BREATH OF THE WILD」である。
2020年度の前期と言えば、初めてのオンライン授業が行われ、家の中でひたすら課題に明け暮れるという生活であった。仮に課題の負担は平常時と変わらないものだったとしても、外に出る機会があるかどうかでもストレスのかかり方は違ってくるだろうし、僕の場合オンラインだと非常に集中力を維持するのが困難だ。そんなこんなでおそらくいつも以上にストレスフルだった前期を終えると、ストレスの反動か、夏休みのあいだ僕はゼルダの伝説をかなりやりこんでいたのであった。
今思うと、いわゆる燃え尽き症候群かもしれなかったが、ゲームをやりんだ理由はほかにもあるかもしれない。それというのは、夏休みでもこのCOVID-19の感染拡大下ではそう簡単には旅行に行くこともままならず、単純に自宅で過ごす時間が増えたということだ。そしてそれによって、僕は現実の忙しさに対する罪悪感を抱かずにゲームにのめりこむことができたのではないか。僕は、高校生くらいから家庭用ゲーム機で遊ぶゲームをあまりやりこむことはなくなっていて、それは現実のことで忙しくてヴァーチャルな世界に時間を割く余裕がなかったことと関係していると思う。しかし、COVID-19の流行によって、気軽には外に行けなくなり、自宅にいる時間を持て余すようになった結果、実際に時間の余裕も増え、リアルな忙しさに対する罪悪感を持つことなく自宅でヴァーチャルなゲームに取り組める環境があったことも要因と相成って、僕はこの8月、夏の時間の多くをゼルダのプレイに費やした。
ゼルダを始めたのはたまたまで、弟が任天堂のSwitchを持っており、もうゼルダはしばらくやらないというので、試しに僕が初めて見たら見事にハマってしまったのだ。しかし、「ゼルダの伝説 BREATH OF THE WILD」は素晴らしい。修論が書き終わったら、ぜひBREATH OF THE WILDの過去を描く「ゼルダ無双 厄災の黙示録」や、続編をプレイしたいものだ。まだまだ人生の楽しみは尽きない。

リアルに対するヴァーチャルなものの罪悪感に関連して一つ思うのは、ヴァーチャルな世界こそが、今や現実と同じくらいか、それ以上にリアル=重要になってきているのではないだろうか。いままでは現実世界での忙しさに対して、ヴァーチャルな世界に入り込むことが時間の無駄と感じられ、そのことに罪悪感を持っていたわけだが、むしろヴァーチャルな世界が覇権を握った今では、そんな罪悪感を持つ方がナンセンスなわけだ。言わずもがな、ヴァーチャルな世界のプレゼンスが高まったことはいわゆるコロナ禍で起きた帰結の一つだろう。また一方で、すでに言われているように今後、現実世界や身体性の重要性が高まる・再確認されるというのも当然起こってくる流れだろうという気もしている。
月並みな結論だが、COVID-19の流行後には、ヴァーチャルとリアルはそのバランスがとれた世界がこれからやってくるのではないだろうか(と、期待したい)。これまでリアルこそが重要であり、ヴァーチャルなものは補助的なものとみなされていた時と比べたら、明らかにこれは価値観やライフスタイルの一大転換となるだろう。今や、身体的にはどこかに行くことは難しくても、小さな自室からも世界中とつながることができるのだから。

何か一つのトピックについて価値観やライフスタイルが大きく転換するとしたら、それに伴って同時にほかのことについても価値観やライフスタイルも変化を余儀なくされることもあるだろう。例えば、身体性のプレゼンスが低くなれば、今度は人の外見ではなく中身こそ、その重要性がより高まるかもしれない、というように。僕にとって今は、まさに価値観の大変革の時期でもあると肌で感じることが多い。

ところで、先に触れたゲーム「ゼルダの伝説 BREATH OF THE WILD」だが、その内容は、実は精神性のプレゼンスが非常に高い作品だとみている。旅するリンクには仲間はすでにおらず、常に一人で旅をする。いるとしたら、道中馬を拾うくらいだ。しかし時折訪れる、倒した魔物が復活する「赤き月の刻(とき)」という夜には、ゼルダ姫がリンクの心に直接警告をささやき掛けてくれる。

会えなくても、僕たち大切な人とつながっているだろうか。
Twitterでも、コロナ禍のために会えなくなったことがきっかけで一緒にいる意味がわからなくなりパートナーと別れたという事例報告をいくつも見かけたことがある。今は、人に会えないからこそ、精神的なつながりがよりいっそう問題となり、重要となる時代になっていくのだろう。
僕自身、自分のたましい、他者のこころ、精神的なつながりというものを、大事にしていけるようになりたいものだ。

永月いつか Twitter:@mit0919Sahne

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