よく動くなまけもの

「なまけもの 」というオンセラ温熱療法とキネシオロジーのサロンをやっています。 休むこ…

よく動くなまけもの

「なまけもの 」というオンセラ温熱療法とキネシオロジーのサロンをやっています。 休むことができずにうつやパニックに苦しんだ経験から、なまけものになりたいけれど、気づいたらシャカリキに動いています。 いろんな想いを綴ります。

最近の記事

日常の中にある様々な音。 耳が外の世界の音をとらえて脳に伝える役割をしている。 地球上にある全ての音を耳が拾い集めたら、生活することができない。おそらく必要なものとそうでないものを耳が精査してくれているのだと思う。 体や心のバランスが崩れることで、この耳の働きが乱れることもあると思う。 六年前、うつ状態になった私は、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚、全てに過敏になっていた。 中でも、音に過敏であることが1番辛かった。 子どもたちのゲーム機の音、スマホの着信音、YouTubeの音

    • 丁寧さに私は惹かれる

      モーニングに行ったお店。 以前は、並ぶこともあるくらいだったようだが、先日行ってみたら空いていた。 席に座ってコーヒーを注文をした。 モーニングなのに、提供にかなり時間がかかっている。 店長らしき人のバイトの子への指導が雑だ。 やっときたと思ったら、トーストが冷めていた。 なるほど、もうここには来ないなと思い店を出た。 次の日にランチに行ったお店。 混んでいた。駐車場に入った時に、待ち時間が1時間くらいあります、とお店の人に声をかけられた。 それならいいです、と帰ろうとした

      • コロッケ食べながら話聞いてもらってスッキリする

        「ちょっと!聞いてよ、すけさん」 始めます。 体のバランスが整うために、思っていることや感じていることを話す、吐き出すということが大切です。 心理カウンセリングを受ける、施術の予約をする。 その前に、ちょっと話せる人がいたら、モヤモヤはなんとかなるかも。 一カ月後の予約じゃなくて、今聞いてほしいのよ。 にお応えします。 カウンセリング受けるほどでもないかもしれない、と思っているちょっとした愚痴や怒り。 こういうものが蓄積されて体の負担となることがあります。 日々解消

        • 仕事になるということ

          仕事というものは、必ずしも1番やりたいことをやっているわけではないと思う。 私は施術をすること、それを伝えることが仕事になっているけれど、施術をする人を目指していたわけではない。 特に何かを目指していたわけでもなく、なりたいものになっているわけでもない。 自分が体調を崩したことから、回復するために必死にやっていたセルフケア。 自分が元気になったから、少しずつ提供することを始めてみたら、仕事になってきた。 それはとてもありがたいこと。 施術も講座も楽しい。 自分のような人間で

          違いを受け入れられなかっただけのこと

          ただ自分との違いを受け入れられなかった、それだけのこと。 映画館に来ると、トイレに行きたくなる。 私は、出かけるとトイレに行きたくなる。 どこに行ってもトイレを探す。 そんな自分が嫌だった。 子どもの頃から、トイレに行きたいと言うと母に叱られた。 そんなしょっちゅう下すお腹はおかしいと、よく医者に連れて行かれた。 いやらしいお腹だと批判された。 排泄したくなることが悪いことだと思っていた。 そもそも、私は家にいる時もよくトイレに行く。 何か食べたら出したくなる。 よく排泄

          違いを受け入れられなかっただけのこと

          私は何者か

          私が私だと思っている私は私ではない。 私が多くて訳がわからなくなる。 上野大照さんの年始ワーク 「美しき人生を創造する〜心の始まりと到達」に参加した。 私は何者か、私とは何か。 考えれば考えるほどわからない。 私は子どもの頃から、自分ではない人になりたいと思っていた。 近所のかわいいAちゃんになりたい。 クラスで人気者のBちゃんになりたい。 みんなに愛されてるCちゃんに。 何より母に可愛がられる弟に。 それでも、55年生きてきたから、自分とはどういう人間かわかっている

          病んでる場合じゃない回復スイッチ

          羽生結弦様の演技に救われた人がたくさんいる。 私もそのひとりだ。 うつになり、仕事を手放し出かけることもできず、いつになったら普通に生活できるようになるのかわからず不安でいっぱいで押しつぶされそうな日々。 そんな時に見た平昌オリンピックの演技。 羽生結弦様に会いたくて、いてもたってもいられず、病んでる場合じゃないスイッチが入った。 どうしても行きたいところ、どうしてもやりたいこと、元気になりたい確固たる目標ができると回復力は上がるということを体験できた。 そんな人がたくさんい

          病んでる場合じゃない回復スイッチ

          お母さんの葛藤は美しい

          共に学んでいる人たちといろんな話をした。 皆、それぞれに様々な葛藤を抱えながら自分の道を進んでいる。 特に子育てをしながら仕事や自分のやりたいことを進めていく日々は葛藤だらけだと思う。 もっと思うように仕事に時間が使いたい、でも、子どもとの触れ合いも大切にしたい。もっとご飯をきちんと作ってあげたい、もっと自分の時間が欲しい。矛盾する気持ちを抱えながら、その時その時で選択し続けている。 その選択が正しいのか間違いなのかわからず、うまくできない自分を責めたり、うまくいっているよう

          お母さんの葛藤は美しい

          母という存在

          母という課題は私にとって負荷が多すぎて何から手をつけていいのかわからない。 怒らせたら大変なことになるから、いつも母の機嫌を伺っていた。怒らせないように母の言うことに従って、右を向いていなさいと言われたらよしと言われるまで右を向いていた。 それでも母には気に入られない。 自分に従う忠実な娘より、隣の家の塀を壊す息子をかわいがる。 おとなしくしていたら褒められたからそうしていたら、陰気くさいから嫌いだと言われる。 どうしたら母に好かれるかわからない。 私をかわいがってほしい、優

          うつ記念日

          あれから6年 結婚記念日は覚えてないけど、自分の病み記念日はよく覚えている。 朝起きたら、体が思うように動かせない。仕事行きたいのに行けない。 何が起きているのかわからない。 ただひたすら怖くて不安だった。 今だから、あれは体が私を守ってくれたのだとわかる。 人から何か頼まれたら断れない。 断ったら嫌われる。 嫌われたら生きていけない。 の3段活用をいつもしていたように思う。 予定詰め込みすぎ、私がやらなきゃいけない、人から必要とされている自分でなければいけない。 やりた

          自分として生ききる

          息子が誕生日プレゼントをくれた。 飛び上がるほどの嬉しさと一抹の寂しさを感じた。 息子はどうして私からこんないい子が?ってくらい優しい。 娘も表現が苦手ではあるけど優しい。 息子は自分の稼いだお金でプレゼントを買うようになった。 娘はもう死にたいと言わなくなった。 子どもたちはもう自分の人生を生きている。 嬉しくもありさみしくもある。 もう私を必要としていないような気がしてしまうから。 子どもを育てるということは、私にとっては苦行だと思っていた。 そういう側面も確かにあったけ

          自分として生ききる

          モヤ子怒る

          誰かにモヤったとして その人が友達たくさんいる人だったり、人気ありそうな人だったり、いつもバズってる人だったりすると、そんな人にモヤる自分がおかしいのではないか… と思ってなんとかモヤを払拭しようとしていた。 ずっとそれをやってきたら、なんだか自分がとてもミジメに思えてきた。 自分の中のモヤを違和感をなかったことにしていた。 無視され続けたモヤ子ちゃんは怒っていた。 いい人のフリするな! みんなと仲良し風するな! 森の木こり風ハンバーグ気取りか! モヤ子を無視して人気者ふう

          この時代に生きること

           昭和に生まれ、平成、令和と3つ目の時代を生きている。土の時代から風の時代へ移行しているとも言われている。時代が変わると共にそれぞれの価値観やコミュニケーションの方法は変わっているように思うが、私自身の話をするならば、日々の悩みや考えていることはそれほど変わらない。人間関係や自分の価値、なぜ生きるのか、そんなことばかり考えている。自分で自分が生きている価値を見出せない、死にたいわけではないが生きてていいんだろうかとどこかで感じている。これはなんなんだ。答えはわからないけれど、

          この時代に生きること