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〇〇がある生活#00 〜序章〜

最近引越しをしまして。引越しの何が大変って、持っていくか、置いていくか、考えることがもう面倒。そもそもどうしてこんなに物があるのか。

この歳になると、自分に必要なものや、どうせ買っても眠らせてしまうものがそれぞれどんなものか、よく分かってくる。ある程度厳選して購入しているつもりなのだが、いざ部屋を見回すと…。もし好き放題買っていたら今頃私は部屋の端にでも追いやられ、1人埋もれていただろう。

しかも何が恐ろしいって、もう嫌だ!と言って飛び出した先にもニヤリ顔で待っている。置き場所を1箇所にまとめなさいとあれほど口酸っぱく言われたことの意味がここにきてやっと身に染みる。片付けても片付けても出てくる地獄の連鎖。もう二度と味わいたくない。

そんなこんなで最初の問いだが、そもそもなぜ物が溢れるのか。購入する時は、これがあるときっと幸せな未来が…と信じて疑わない。だが大概は、購入して持って帰るまでがピークで、家に着いた瞬間、あっという間に日常に溶け込んでしまう。

買うこと自体に幸せを感じるのか。あるいは集めることに幸せを感じるのか。本来なら、使うことに幸せを感じるのが理想だが、悲しいことに実際はあまりない。だがゼロではない。そう、数少ない私の貴重な神7(実際はもっとあって欲しいが)に一体何を期待しているのか、ここに思いを馳せてみたいと思うようになった。

〇〇がある生活が私の人生をどう潤しているのか、はたまたそれが無くても私は潤うことができるのか、奥に透けて見える己の欲望をよくよく見つめ直そうと思う。

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