見出し画像

【エッセイ74】つくるのは楽しい、されどそれだけでもない。それでもつくる。

約三十年生きてきたけれど、人生の結構な時間を「何かを創る」ことに充ててきたような気がする。
それは芝居だったり、脚本だったり、小説だったり。
これまでいろいろと創ることには関わってきた。

その都度、楽しいこともあれば苦しいこともあった。
何もないところから何かを創るのは非常にエネルギーも要るし、多分けっこう大変なことだ。

今だって本業の仕事をしながら、小説を書く時間を作るのに腐心しているし、何もできなかった日は「今日もサボってしまった……」と自己嫌悪に陥ったりもする。
もちろんそれだけじゃなくて、書くときの悩みもある。
展開に悩んだり、誰の視点で書けば効果的なのかや、作品内での情報の出し方をめちゃくちゃ迷ったりもする。

長編小説をコンテストに応募するときは、応募〆切の直前、何度も何度も読み直し、最後の最後まで修正をする。
そのときはもうこんな大変な作業をするのは嫌だと思う。

それだけ悩んで苦労して、長編を書き上げて応募して、あっけなく落選する。
落ちるときは一瞬だ。
実際は、選考のために読んでくださってる方が貴重な時間を割いてくれているのだけれど。

そんなに苦労するのに、一つ書き終わったらまた次のものを書きたくなる。
今度はここを改善して、もっと面白いものを書けるように、と。

その繰り返し。
一体これは何の苦行なのか、と思わないでもない。

ところで私の場合、一番楽しいのは書き始めである。
長編の半分ぐらいまで書くと、自分で書いた内容を覚えていられなくなり、整合性とか時系列を考え始め、訳が分からなくなるのが定石だ(おい)。
だから半分ぐらいまでは割とすらすら書いたりする。後の半分以降が苦行となる。
前半だけなら結構早い段階で書き終わっている。
前半と後半にかける時間は、後半が圧倒的に多い。たぶん前半の三倍以上時間をかけているのではないか。覚えてないけど(おい)。

後半になると覚えていられなくなるからか、ちょっと加筆したり修正したら、すぐ印刷する。どれが最新の内容か分からなくなるためだ!しかもパソコン上で毎回読み直すのはしんどいので、打ち出して紙で読みたいというアナログさ。
そのせいでいつも鞄は小旅行並み(の重さ)。原稿とは別に、自分が読みたい本も入れているからなんだけど。

こうやって書いていると、デメリットの方が多いような気がしてくる。おかしい。
こんな風に言ってると信じてもらえないかもしれないが、書くことはとても好きだ。本当です。

そんなに大変なのになんで書いているのか、と言われると返答に困る。
私はなぜ書いているのだろう。

私の中に一つあるのは、「面白い小説を読むと、めちゃくちゃ書きたくなる」という衝動だ。
自分でも面白いものを創り出したいという強い想い。

今よりももっともっと描写が上手くなりたいし、構成も上手くなりたい。
とにかく文章が上手くなりたい。

上手くなるためには書きまくるしかないんだよね。
そして、面白い小説をたくさん読んで勉強すること。

とにかく、自分がやらないと上達はしない。
スポーツでも楽器でも、なんだってそうだ。

まずは自分でやること。話はそれからだ。
こんな風に言ってたら、書きたくなってきた。

30才の誕生日が来る前に、20代最後の長編を完成させよう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?