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別府放浪記〜なにが君のしあわせ

令和2年11月9日(月)。
今日は、2歳の娘と別府へ向かった。
私と娘は、よく別府公園に出没する。家は大分市であるが、わざわざ隣町の別府に足を運ぶことが多い。

人と関わるのが煩わしい性分で、地元の小さい公園からは遠ざかりがちである。
そこで繰り広げられる「ママ友」的なやりとりが、どう考えても苦手である。

そんなこともあって、娘が歩き出してからは、家から少し離れた大きな公園や、別府公園に行くことが多かった。
私の中で別府公園は、「公園」という範疇を超え、「森」と勝手に分類されている。
こんな森のような巨大公園が街中に普通にあるとは、少し羨ましい。

ここなら、仮に同じような子連れに出くわしても、一言二言交わし、その後会うことはないだろう。


自身のアウトぶりに身震いがする。


もう一つ、別府公園に来る理由は、広大な自然が好きだからである。虫は大の苦手であるが、森林浴的なことが大好きである。

別府公園内で特に好きなのは、

このゾーンである。
虫さえいなきゃ、ここにテントを張って1日過ごしてみたい。

そして、毎回同じ場所で写真を撮ることにしている。

ここは別府公園の象徴的な場所ではなかろうか。

ついこの前まで娘は、ここでまつぼっくりやどんぐりや小枝を拾って、まぁまぁ満足気に散策していたが、ここ1ヶ月くらいで別府公園に興味を示さなくなった。

入り口のところで、すぐに反対方向に走り出し、帰る!と主張する。

第一次反抗期真っ只中に加え、元来主張が激しい娘は、こうなると絶対にこちらに従わない。

ーー帰るか…。

ものの10分くらいで退散。

これは困った。私のオアシスである別府公園を避けるようになるとは……

しかし、よく考えたら、これくらいの子供にとってはあまり面白くない場所かもしれない。
娘が喋らないのをいいことに、これまで私の行きたい場所にばかり付き合わせてしまっていた。
もう少し成長したら、ちゃんと娘の行きたいところに付き合ってやろう・・・。うん。


そんなことを考えながら、少しお腹がすいたので、「友永パン」でアンパンを買って帰ることにした。
この「友永パン」は、別府市千代町というところにあり、なんと大正5年からの創業であるという。建物は年季が入っており、かなり古い。もはや、ドラマとかでしか見かけないような建物である。
そんな建物の前に、いつ行ってもぞろぞろと行列。初めて行った時は目を疑った。

しかしそれもそのはず。ここのアンパン、、、


ーー超美味い!!


私は、アンパンがさほど好きではない。人生において、パン屋でわざわざアンパンを買ったことはそんなにないと思う。
そんな私が、もう何度も何度も買いに来ている
「友永のアンパン」。
パンに詳しいわけではないが、少なくともアンパン界では、ここを超えるところはないと思っている。

ーーアンパン界・・・

真っ先にアンパンマンを思い出す。彼らの業界でも、熾烈な争いとかあるのだろうか。

ーーいけみんなの夢まもるため〜

そういえば、親友荻子(仮名)が我が子と遊んでいる時にこのアンパンマンマーチの「♪なにが君のしあわせ〜」のところを「♪何百人のしあわせ〜」と歌っていたことがある。

なんという聞き間違い( ゚д゚)

しかし私は、特に訂正しない。実は、「荻子あるある」なのである。
2人でドライブをしている時も、荻子はCDから流れるaikoの声をかき消す声量で歌を口ずさむ。

ーーGive me aiko's voice.

しかもよく歌詞を間違えている。aikoファンの私は、助詞レベルの間違いにもすぐに気付く。aikoの歌詞を何度も聞いて、どんな意味だろうかと反芻するのが常になっていたため、歌詞と音程は割と正確にインプットされている。それなので、すごく引っかかる。訂正したい。

でも、ここで訂正したら、すごく器の小さい神経質な奴だと思われそうで(多分、既に思われているが)とりあえず流す。

歌詞をよく考察した上で初めて発声したい私に対し、夫も荻子と似たようなところがある。よく歌詞があやふやな歌を大声で歌っている。

どっちが純粋に歌を楽しんでいるかと言えば…

間違いなく、後者2名であろう。

これは歌の聴き方に限ったことではなく、人生のあらゆる場面に現れるのではないかと思う。

小さいことに囚われず、とりあえず楽しむ。素晴らしい性質ではないか。

しかし私は、

「わからないままおわる〜そんなのはいーやだ〜!」

なのである。


ーー深く知りたい。


もちろん「自分」についても深く追求する癖があるが、「自分」でさえ「自分」を裏切ることもあり、追求したところで意味はないのである。

深く追求したい性質は、上手くいけば研究者等に向いているのかもしれないが、中途半端に諦めの早い私は、ただの「少し考えすぎる人」レベルである。

ーー悲しいSAGA!!

さて、その日も友永パンには多くのお客さんが訪れていた。娘を抱っこして数分待った。娘は、パンに目がない。パンがチラつくたびに、私の腕からすり抜けよう暴れだす。

どうにか持ち堪え、アンパン5個と、夫が好きなバターフランンスを2つゲットした。

待ちきれず駐車場で食す。

娘は何かを食べる時、両手に持っていないと満足しない性質がある。

とりあえず2つ持たせてやる。

しかし、さすがにこの丸々太ったアンパンマンさながらの娘に2個は…と思い、
「こっちはお母さんのだよ。」
という旨伝えたのだが無視である。

結局、食べかけの1つを半分にして娘の両手に持たせた。最初からこうして渡せば良かった。
娘は、1つを奪われた形になり不服そうな様子をみせた。


私は、「子供」というものがよく分かっていない。これまでの人生の中で、分かろうとしたこともなかった。

以前、友人が子供を連れて家に来た時、子供が我が家の観葉植物の鉢の石を触ろうとしたことがあった。その時友人は、
「それは葉っぱさんのごはんだからダメだよ。」
と説明しており、子供もそれに納得していた様子であった。

私なら、「その石には色々な菌が付いていて、あなたの手で触ってしまったらそれが口から体内に取り込まれてよろしくないことになる。」という旨のことを少し子供に分かりやすい状態にして説明するのではないかと思う。

いやいや、、、

ーーダメよなぁ、こーゆうとこが。。

おそらく、全然子供に響かないのである。


そんなわけで、私は今、これまでの人生での「常識」が通用しない「子供」という壮大なテーマと向き合っている。

「子供」のことを深く追求しようとしても、その性質は1人1人違う上に、同じ子供でも成長するにつれ、昨日とは違う様子を見せたりする。

世の中の多くのことは、書籍やネット情報でどうにかなってきたが、これはどうにもならず、この、まだ小さい「人間」と日々向き合っていくしかない。

どうすればいいのか全然分かっていないが、最近少しずつ同年代の子と接する場所に連れ出したりするようになった。(この私が。)

保育園に通っていない我が子は、同年代の子と接する機会が少ない。
同年代の子と接することで、この子のアウトな点が浮き彫りになってきた。

これまでの「自由に野に放つ」という私の方針と、元来の性格が相まって、この子は相当に「自由」である。まだ2歳になったばかりとはいえ、人の話を聞かない。他人の物を奪い取る。
「魔の2歳児」という言葉があるくらいではあるが、こんな感じではない子もいる。

とりあえず、「落ち着いて話を聞ける」レベルに到達させたい私が色々調べて実践しているのは「読み聞かせ」の強化である。

娘は落ち着きがない。そして顔からも滲み出る2歳とは思えないほどの意志の強さ。超ワガママである。大人しく絵本を聞かせるにはかなりの労力を要すると思われた。

娘が唯一大人しくしているのは、何か食べている時である。「おやつの時間」を設け、その時間に読み聞かせを実行した。

すると……聞く聞く。モグモグしながら絵本ガン見である。
最近では、おやつの時間以外でも、椅子に縛り付けておかなくとも、少し長いお話をおとなしく聞けるようになった。

そして、絵本を片付けたり、こちらが指示した絵本を持って来たりという、簡単な指示には従えるようになった。

ちょっとしたことである。
こちらのアプローチの仕方次第であることに気付かされる。
私は、このようなことにはてんで頭が回らないのである。

そんなこんなで、最近頻繁に絵本を買うようになった。娘のため…と思いつつ、実は私が結構はまっている。
我々が特にはまっているのは、「せなけいこ」のシリーズである。

見れば見るほどになんか味がある絵。
この絵本たち、なんと1960〜70年代に発行されている。私が生まれる20年ほど前からある老舗の絵本なのである。

娘は特に、「ねないこだれだ」がお気に入り。しかし、「あーんあん」というやつは、私が読もうとすると、遠くに持って行き、「これは読まなくていい」と主張する。

これくらいの年齢の子にもはっきりとした好みがあるのか、と思う。

とにもかくにも、娘は食べる時と絵本を読んでいる時、楽しそうである。


私の人生は血迷っている。放浪ばかりしている。でも、そんなことをしながら、彼女の「しあわせ」をたくさん発見していきたい。

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