ハッピーな記憶とともに。

中学生の時に体を洗うのがめんどくさくて、体を洗わずにお風呂に入っていた。
今はむしろ体を洗うことが好きだ、といえるほどになっている。とても念入りに体を洗う。洗っていると楽しい。きれいになっている感じが心地よいわけではない。洗っていること自体が楽しい。

体を洗うことに関しての出来事として、何歳のころの話かは覚えていないけれど、内容は明確に覚えていることがある。
僕は誕生日が迫っていた。当時はGBAが欲しかった。ゲームボーイアドバンスという最近スイッチでもできるようになった暗闇では何も見えなくなってしまって、電池の代わりにコンセントを差し込むものを使っていたので、携帯ゲーム機のはずがほとんど家のある一画でしかできなかった携帯ゲーム機である。通信ケーブルを利用したら四人まで通信ができるというホットなアイテムであった。ただ四人で通信するためには通信ケーブルが1つじゃだめで条件を満たすのが難しかった。公式のアイテムじゃなかったけれど1つで4人まで一気に通信できる合法ケーブルがあって、それを持っている友達はそれだけでナイスガイだった。

誕生日プレゼントとして僕はそのGBAと確かモンスターファームを買ってもらえる手はずだった。
ところが、である。
僕がいつものように体を洗わずにざぶんとお風呂に入って出てきた。
そこに父親がいて、石鹸が泡立っていないことを指摘された。
言われた言葉は覚えていないけれど、体を洗わなかったからGBAを買わないという発言をされたことだけは覚えている。

もちろん間の細かいやり取りやその前後の文脈があったのだろうけれど、客観的にこうやって文章にしてみるとなかなか謎のやりとりである。
まず自分体洗えよ、と思うし、父親の怒り方もよくわからない。
体を洗うということが主軸にあるのか、GBAを買わないということが主軸にあるのか、おそらく後者である。それはなぜかというと、その時酒に酔っていた父親が家に金がないと連呼していた。
まぁ実際お金はなかったし、今もさほどないのだけれど、それにしたってやりようはあっただろう、と思う。父親を責めたいわけではなく、むしろそういう苦しみのさなかにあって子供にすらあたってしまった父親が少しかわいそうになっている。貧すれば鈍するというより、もともと鈍していた場合、いったい誰が手を差し伸べてくれるのだろうか。いや…。

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