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なぜ「弱者」はあらゆる分野で「弱者」になってしまうのか?

実に不可解なことだが、生活保護バッシングをしている人には低所得者や障害者、精神疾患の患者など、いわゆる「弱者」とされる人たちが少なくない。

彼らは何かアクシデントが起きればすぐに生活保護に頼らざるを得ない存在のはずだが、そのような立場でありながら生活保護を攻撃する姿を見て、「”無能は敵を間違える”とはこのことか」と私は冷めた思いを抱いていた。

しかし、実は「弱者なのに生活保護に攻撃的」という存在こそが、弱者問題を考える上での重大なヒントであることに最近になって気づいた。そこには「弱者が弱者たる所以」が詰まっているのだ。

この話は単に生活保護やワーキングプアだけに関係することではなく、就活で苦戦する人や恋人いない歴=年齢の人など、様々な面で競争に打ち勝てない人たちに少なからず当てはまることでもある。

今や広く認識されていることだが、様々な分野における「弱者」は概ね重なっているという事実がある。

具体的に言うと、例えば「学業、就職、キャリア、恋愛」という指標の中で「いくつかは上手くいってるけど他は上手くいってない」という人は少数派であり、

「学業の成績も悪いし就職も失敗するし、なんとか滑り込んだ会社でもうだつが上がらないし恋人いない歴は年齢と同じ」という人と、

「学業も就職もキャリアも恋愛も全てがそれなりに充実している」という人に二極化しているということだ。

このことは多くの人が自分自身や周囲の人の人生を見て実感しているのではないだろうか?

ある分野での「強者」は他の分野でも「強者」である傾向があり、ある分野での「弱者」は他の分野でも「弱者」である確率が高い。

なぜ「弱者」はあらゆる面で「弱者」になってしまうのか?

なぜ「弱者なのに生活保護に攻撃的な人」がいるのか?

それは…


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