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20,05,17。家庭用ゲームの思い出⑭

スーパーファミコンの発売は90年でしたからメガドライブ派を自認していた自分はすぐに飛び付いたりすることは無く、逆に「本体と同時発売のソフトがF-ZEROはともかくボンバザルとは笑える」などと揶揄していました。

後にその言葉はメガCD発売時に超巨大なブーメランとなって帰ってくる事になるのですが当時はスーパーファミコンの事を舐めていた事は否めません。

メガCDによってセガに失望し「機能じゃねぇ。大事なのは何と言ってもソフトだ!」と言う今更の事に気が付きスーパーファミコンの購入を検討し始めました。

とはいえ5万円と言う高価なアタッチメントを購入したもののメガドライブが二段構えの黒いオブジェと化していた状況に妻から「これ以上ゲーム機を増やす事は容認できない」と言うプレッシャーが強くなっていましたから購入には何か大きな大義名分が必要でした。

結局スーパーファミコンを家でプレイできるようになったのはドラゴンクエストⅤが発売になった92年秋からです。「ドラクエが出るんだから仕方ないよね?」と言うよく判らない大義名分のもとに迎い入れたスーパーファミコンは家庭用としては申し分のないグラフィックに十分なサウンド。そしてメガCDでは結構ストレスとなっていた読み込み時間も無く実に快適でした。

今までのシリーズ同様素晴らしい出来だったドラゴンクエストⅤをしゃぶりつくすように堪能した後は購入するソフトはほぼスーパーファミコン用のみと言う状態に。

のめり込めるRPGの楽しさを再認識したことで気になっていたロマンシングサガを購入し、返す刀でメガドライブ移植版が最悪だったスーパーファイヤープロレスリングも購入。まるで敵の情報を解析するような眼差しで読んでいたファミコン通信は最も楽しい情報誌へと昇格です(笑)

以降、ソフトを購入してはプレイし、ある程度プレイ済みソフトが溜まってくると中古屋に叩き売るというスタイルでスーパーファミコン時代をエンジョイしていました。94年暮れにプレイステーションが発売されますが「ゲームはソフトが命」である事が骨身に染みていた為、ある程度ソフトが出揃うまで手を出さなかった事もありスーパーファミコンは我が家で長期政権を築く事となります。

90年代半ばには娘がゲームに興味を持つようになり、背後でプレイを見守る後衛と言う強い味方を手に入れた事で新しいゲームを購入する賛同者も増え自分のゲーム三昧は絶頂期を迎えます。

その所為で若い頃から常に親しんできたはずのギターともすっかり疎遠となり、当時の数年間で随分腕がなまってしまい、後日ギターの埃を落として久々に弾いてみた時に衝撃を受けたほどでした。

そんなスーパーファミコン時代にプレイしてきた数多くのソフト達。
もはやハードソフト共に手元に残ってはいませんが思い出としていまだ記憶にはとどまっています。

次回以降そんなソフト達の中でも「面白いけれどあまり濃いレビューを見かけない」物を中心に書いてみようと思いますので、たまたま目にされた方に楽しんでいただければ光栄です。


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