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カフェで読書する楽しさを知った話

少し前に『涼宮ハルヒの直感』を読んだ。

前作から約9年ぶりの新刊だったので待ち望んだ人も多いと思う。
僕も例に漏れず楽しみにしていた一人で、角川文庫版を読み直して新刊に臨んだ。
雑誌掲載分も含め、『直感』全編を通じて安定の面白さでいつもの「SOS団」の面々と会うことができた。さながら高校時代の旧友の話を聞けたような気がして、充実感に満たされながら読み進めていった。

特に「鶴屋さんの挑戦」では、名前が入っている通り鶴屋さんメインの話となっている。
レギュラーメンバーではないけれど、これまで確かな存在感を放っていた鶴屋さんが提示する「謎」に、「SOS団」と一緒に考えながら読んでいくことはネタバレ無しの初回でしか味わえない体験だったと思う。

何を隠そう僕は鶴屋さんが好きなので、発売前の情報で知った時から楽しみで仕方なかった。その期待をはるかに上回った『直感』ではあったが、こうも良い体験をすると次の話を早く読みたくなってしまう。
完結はしていないので、いつかは続きが読めると思うが、9年以内には次の新刊に会えることを願うばかりである。

時に、小説はどこで読むことが多いだろうか。
自宅やカフェという人が多いと思う。僕も今ではその二か所で読書することが多い。

恥ずかしながら一人暮らししてからは読書がご無沙汰状態だったので、久しぶりの読書である『直感』は自宅でゆったりと読もうと考えた。
そしてこれを機にもっと小説の作品に触れたいと思い、自宅に一人用のソファを購入し、自分にできる範囲で環境を整えた。
そして満を持してソファでくつろぎながら『直感』を自宅で読み始めた。
室内で誰も邪魔することのない最高の環境である。

が、すぐにカフェで読むようになっていった。何故か?
真の敵は部屋の外側にいた。
周りの騒音がひどかったのである。

「お前が読書に集中してないだけじゃんw」と思われるかもしれないが、上の階からは足音、外からは謎の外国語が飛び交う環境で僕は生活することすら苦痛だった。
音だけなら耳栓で対処できるけれども、僕には足音の振動まで伝わる環境で読書することはできず(そんな部屋を選んだのは自分だろということは百も承知)、本を持参しカフェに逃げ込んだ。

それまで僕は長時間席を独占してしまうのはなんだか悪い気がしていたので、カフェを待ち合わせの調整のときくらいしか利用したことがなかった。
そういえばよく読書してる人や勉強している人がいるよな……とカフェに行くことを思いついたのである。
『直感』を読むときも申し訳なさを感じつつ珈琲を注文し本のページをめくり始めた。

するとどうだろう、騒音で何度も現実に引き戻されていた自宅よりもはるかに没入することができていた。
席に着いた時にはBGMや周りのテーブルの話声が気になるかなと思っていたが、いざ読み始めると気にならない。
むしろある程度の音があると逆に集中できるような気がする。

『直感』を読み終わってからも、読みたい本を買った時はカフェに寄って珈琲とともに楽しむ習慣ができた。
きっかけは自宅の騒音が苦痛だったという良くないものだったけれど、新たな選択肢を得ることができたのは良い転び方だった気がする。

読書以外にも騒音は僕の生活に多大な影響(耳栓無しでは寝れないとか)を与えており、コロナ禍で自宅時間が増えたのもあって、その後ちゃんと防音がマシな部屋へ引越をした。
今では家でも集中して読書できる環境にはなっているが、世の中の状況も少しだけ好転してきたので、またカフェで珈琲とともに読書を楽しみたい。

本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある。
調子が悪いときに、本の内容が頭に入ってこないことがある。そういうときは、何が読書の邪魔をしているか考える。
調子が悪いときでも、すらすらと内容が入ってくる本もある。なぜそうなるかを考える。
精神的な調律、チューニングみたいなものかな。
調律する際、大事なのは紙に指で触れている感覚や、本をパラパラとめくったとき瞬間的に脳の神経を刺激するものだ。
――槙島聖護

『PSYCHO-PASS サイコパス』

読書の邪魔をしている原因が分かったら改善策を講じる。
もちろん、執行されないような常識の手段をね。

前回エッセイ風記事

カフェと同じく独特な雰囲気があるので映画館は好き。
映画を観る予定はなくてもとりあえず足を運んでしまう。

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