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ぶどうの工作とわたし。

まず走るのがべらぼうに遅い。運動会や体育祭という名の公開処刑場が、憎しみの対象でしかなかったのは必然だ。実力差のない、同じようなタイムを持つ生徒たちでレースをさせるという配慮など一切されなかった、やさしさのかけらもない時代である。ぶっちぎりの1着などされた日にはぶっちぎりでしんがり負けのわたしの無様さが際立つじゃないかクソが。その悔しさをバネに努力するなりして挽回すればいいじゃないかとか綺麗事を言われても困る。どの悔しさをバネにしたところで、走っても走っても屈辱の最下位である。プークスクスされているのも知っていた。生きるのがつらいと思った。

走るという動作には自分比100%の俊敏さを注ぎ込んでいるつもりだったが、道中一瞬でも最下位以外の着順に食い込んだ形跡はまったくもって見られない。俊敏であれ!とありったけの夢をかき集めたところで安定の最下位である。走っていてもモタモタしているということがおわかりいただけたであろうか。ひいては普段、あらゆる場面において、どんだけモタモタしているのかって話である。先日も同僚に「なんだかいつもゆったりしていて優雅」などと当たり障りのないどころか持ち上げてさえいるという高等テクニックにより、モタモタしていると指摘されたばかりだ。

さて。保育園の工作の時間にぶどうの房を作ったことがある。紫色の色紙を丸めて作った実を、台紙の画用紙に貼りつけて房を形づくるという課題だった。色紙は生徒個人につき同枚数提供するのではなく4、5人のグループ単位に配られた。わたしがゆったり優雅にモタモタ色紙を丸めて実をつくり、画用紙に貼りつけている間に、他のメンバーたちは猛スピードで逆三角形のたわわなぶどうの房を完成させていた。わたしのぶどうになるはずであった色紙まで使っているのだから、そりゃあたわわにもなるでしょうよ。おかげさまでわたしのぶどうは貧相極まりない「J」の字型にしかならなかった。実の数が圧倒的に不足していた。房ですらない。

今なら「ふざけんな!」とブチ切れてそのみじめなぶどうごと画用紙をへし折り、床に叩きつけて怒りをあらわにするくらいのことはできる気がする。なんなら登園拒否もセットにしたい。しかし幼かったわたしには途方に暮れるしかなかった。ただただ悲しかったし悔しかった。他のメンバーたちはわたしのぶどう作りを妨害することが目的だったわけではなく、単に自分のぶどうを立派なものにしたかっただけに違いない。ひとのぶどうの進捗状況なんぞ知ったことではない。わたしがモタモタしていたせいで色紙争奪戦に負けたのだ。だが当時、わたしはメンバーたちに対し恨みの感情を抱かずにはいられなかった。今にして思えば逆恨みも甚だしいが、なにぶんコドモだったし仕方がないだろう。

オトナになるとこうも考える。ターゲットはわたしのJの字ぶどうをヨシとした先生である。それもまた作品の個性であるとでも思いやがったのか。たわわもJの字もみんな違ってみんないいってか。一体どんな感性をしているんだ。誰が好き好んでプークスクスされるに決まっているぶどうなんか作るか。1枚でもいいから余った色紙をくれてやろうといった発想はできなかったのか。1枚も余らなかったのか。紫のがないなら黄緑色のでマスカットを作ればよかった。そもそもはなからひとりひとりに同じだけ平等に色紙を配分していたら何の問題もなかった。人数分数えるのがめんどくさかったとか言ったら躊躇なくぶん殴りたい。教育的に何らかの意味があってグループ単位にしたのであればそれは「協調性をはぐくむ」だったのではないですかね。知らんけど。なんもはぐくまれてないけど。

モタモタしていることを指摘されるたびに、あのぶどうの工作の記憶がよみがえる。何十年も経っているというのに、いまだに激しく憤るわたしである。いい思い出に変わることなど決してない。おとなげないと思われてもいっこうに構わない。

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