見出し画像

ズタズタエンドレス

昔、母親に「口答えするな」とよく言われていた。何かにつけて異を唱えがちななコドモだったのだろうか。正直言ってまったく覚えていない。ただ「口答えするな」と言われるたびにひどく傷ついていたことだけは確かだ。「これは口答えではない。わたしの意見である。わたしには自分の意見を述べることすら許されないのか」と抗議できれば苦労はしない。幼いわたしにとって母親の言うことは絶対だった(コドモなら皆そうだ)。人格を全否定されたように思えて、とてもみじめだった。悲しかった。わたしは心情的に何かが決壊しないように歯を食いしばって耐えていたが、その様子が母親のお気に召さなかった。「また鼻曲げて!」

「鼻を曲げる」は新潟でしか通用しない表現らしいので説明すると「ヘソを曲げる」と同じ意味で「不機嫌になってムッとすること」である。たいていの場合「口答えするな」は「また鼻曲げて!」までがセットだった。「口答えするな」でぴしゃりやられただけでも大ダメージなのに「また鼻曲げて!」で精神的にズタズタである。もうどうすればいいかわからない。考えても考えても叱責された人間がするべき表情がわからない。精神的にズタズタにされているのにヘラヘラニヤニヤしろとでも言うのか。ヘラヘラニヤニヤしたらしたでブチ切れるんじゃないのか。

そもそもわたしは鼻を曲げてなどいない。不機嫌になってムッとしているのではなく、悲嘆に暮れていただけなのだ。「わたしは鼻を曲げてなどいない。悲しんでいるだけだ。それとも何か?物理的にわたしの鼻は曲がっているのか」とたとえ弁明できたとしても「口答えするな」と切り返されていただろう。そして「また鼻曲げて!」と続く。エンドレスである。イヤすぎる。

今まで一体どんな生き方をしてきたらそんな言いまわしができるようになるのか、むしろ知りたいとさえ思わせるレベルのひとがたまにいる。相手を的確にざっくりやることに長けていて、非常に感じが悪い。二度と関わりたくないし顔も見たくないが、言いたいことを言いたいときに言いたいように言うってところだけはちょっとだけうらやましいと思ったりもしている。言うだけ言えばさぞかしスッキリすることでしょう。ええ、そうでしょうとも。ズタズタにされる側の気持ちなんぞこれっぽっちも一瞬たりとも想像したりしないのでしょう、きっと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?