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母の難病

こんにちは。
うつ病休職中のなみです。

母が難病です。
これは日記。何度書いても書き足りないと思う。

毎日いついかなる時も考えてしまう。
いつか来る母の死。
そう遠くない未来にやってくる。
母は難病で、特発性間質性肺炎という病気。進行性の病気で、原因不明で治らない。ゆっくりと肺が硬くなって呼吸ができなくなって死んでいく。不謹慎かも知れないけど、コロナの患者さんの病院での最期と同じように、エコモに繋がれて亡くなるだろう。

どうしても割り切れない。私の身近な人の死は、祖父や祖母までだ。それも認知症で私の事もわからなくなった後の死。実家が遠方だから、苦しい様子を見なくて済んだといえばそうなのだ。祖父は私を前に、こんな体になって悔しいと泣いたことがあった。すごくショックだったけど、次の瞬間には、ではそういう事で…って遠くを見てた。祖父も私の様子にショックを受けたのか、あるいは現実から離れてしまいたかったのか。とにかくその時はお互いに心が遠くにあったから、それ以上不用意に傷つくことはなかった。まだ気持ちの整理がつけられたと思う。

でもそれが母となると。
少し考えるだけでも怖くて寂しくてたまらない。母が寂しかろうと思う以上に私が寂しい。人生で、こんなにも寂しいと思う事は初めてなんじゃないかと思う。恋人と別れた時もとても落ち込んだし、何年も苦しんだけれど、母とは比べ物にならないと思った。

(私は寂しさを自ら欲しているのかも知れない)

寂しい。いなくなるなんて考えられない。そしたら父は一人であの古くて広い家に住むのだろうか。そうだろう。井戸水で、お風呂は薪で、スーパーが街に1件しかないあの家に。大好きだよ、自然が豊かで、父や祖父が手入れをしてくれて立派な庭木があるあの家。自分が育った場所だもの、手放したくないよ。父は先祖代々の気持ちを一人で背負っている。母を亡くした後もきっとあの家に住むだろう。認知の進んだ足の悪い祖母の面倒を見ながら、父は下手な料理をしながら、自分の食の好みにうんざりしながら、一人で夜を過ごすのだろう。

母の死を考えるごとに、その先に待っている孤独を思って心が痛い。

私は、父が良ければ一緒に住んでもいいと思っている。主人の意見はどうにかする覚悟だ。家を離れ、ゴルフをする友人やなんだかんだお付き合いしているご近所さんと離れて、住んだ事もない東京に来るだろうか。年老いた親を呼び寄せるとボケるというけれど、そうなりうる理由はたくさんある。父の足腰が元気なうちは好きに暮らさせてあげたいけれど、今度は父を思って私が夜も眠れないのだ。

話が逸れた。父ではなく今は母だ。

母の好きなところを書こう。

気が強い。なんてったって気が強い。自分の正しいことを通したい人。この部分では私と衝突する事もあった。学生のころは鬱陶しかったし、そうして育てられたから母が全て正しいふりするくせに、なんだ間違ったじゃないかって母を責める気持ちになった事もある。これは本当に反省している。最悪な娘だ。自分で判断できなかったくせに、母のせいにした。まぁでも母はあんまり謝らない、父に対しても。その強さがあったから、あんな田舎で嫁に来て、二人も子供を育てて自分の趣味である書道も続けて。すごい人だよ。自分をしっかり持ってるから、比較してぶつぶつ言う事もあるけれど自分なりの幸せを見つけて日々を大切に生きている。

料理が上手。たまに仕送りで惣菜を送ってくれるのだけれど、びっくりする程美味しい。18で家を出てしまったから、なんとなく料理修行もしないうちに、母の味は舌でなんとなく覚えている限りになってしまった。あと、母はキッチンに入られるのが嫌なので、私がモタモタしているとどうしても自分がさっさとやってしまいたくなるらしい。何をすればあの味に近づけるのか、多分本当に動けなくなってキッチンから離れてしまうまでわからないだろう。彩りもいつも気を使ってくれて、緑が足りなければ畑でとってきてちょっと足す。さらっとした身のこなし。毎日ご馳走。

それから必ずひと工夫する。お惣菜を買ってきても、自分なりにアレンジして家にある野菜も加えてお皿に盛る。お惣菜買うくらいだから食事がちょっと面倒な事は確かなんだけど、それでもちゃんとしてる。なんでもひと工夫。洋服もちゃっちゃとミシンで縫ってカスタマイズ。ポケットやボタンなんかも全部つけてもはや原型がないほどになってる。

あと器もこだわっててさ。フリマとかで安くいいやつ仕入れてくるの上手なんだよね。自称目利きだから、誰かが価値のないものとして出品しているのをしっかり見つけて、しかも値段交渉とかしちゃうから、節約もしっかりしてる。お気に入りと価格の自分軸を持っているから妥協しないんだろうな。

センスがいい。これは書道で培ったものだと思う。幼い頃からずっと続けてて、非常勤で小学校の先生もしてる。違う、してた。難病になってからは風邪をもらうと命に関わってしまうから、子供達と関わる事が難しくなった。惜しまれつつ、先生引退。忙しくしてたからこれで良かったのかなと思う反面、張り合いがなくなったろうなと想像してみる。

母を見てると、幸せってお金じゃなくて自分で作るものなんだなって思う。父は働き者だったから、今病気を患っても旅行に行ったりしてる。理想だと思うけど掴んだ幸せなんだろうな。ないもの、失うかも知れないものを思って悲しんでいる私より素晴らしく色濃い人生を歩んでいると思う。娘なのに全然違うふうに育っちゃったな…。

母が亡くなるその時、その次は父。最後は楽しかったと言ってもらえるよう、今から写真を撮ったり電話をしたり、離れているけどたくさん思い出を作りたいと思う。たくさん、たくさん。

あー寂しい!

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