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限りある時間を共有してくれた事に感謝する

この世の物は全て変化し続けます。

それがたとえ、
何があっても揺らぎそうも無い、巨大な岩であっても、
最先端の耐震技術を擁した、堅牢な建築物であっても、

草も木も、空も海も、すべては変わり続けます。

人もまた、変わり続けます。

身体も心も変化し続けます。

生まれ落ちたその時から、一秒先のことは予測出来ませんが、
ただひとつ確実なのは、肉体には終わりが訪れる、ということです。

肉体が滅びる時、心も消えて無くなるのかどうかは、脇に置かせて頂いて、

予測不能、諸行無常のこの世界で、ただ一つ確かなことは、

形あるものは、いつか壊れ、
生きとし生けるものは、必ず死を迎える、ということです。


私達は顔も体格も百人いれば百通りです。
たとえ一卵性双生児でも、よく似ているかも知れませんが、全く同じ顔と体格ではありません。

心もまた、一人として同じ人はいない訳です。

優しい人、厳しい人、社交的な人、静かな人、様々です。

そして、優しい人が生涯を通じて優しい訳では無く、
優しい人が誰にでも、いつでも優しい訳ではありません。

冒頭でお話しした様に、人の心も常に変化します。

その人を取り巻く環境によって、
その人と相手の相性によって、
タイミングによって、
気分によって、

人の心は天気の様に、常に移ろいます。

また心は成長します。

その成長の速度は、肉体以上に千差万別です。

人生の早い時期に情緒が成熟する人もいれば、
老境に入っても心が未熟な人は、幾らでもいます。

それから、心はその全てが一様に成熟するものでは無く、
ある部分では成熟していても、別の部分では未発達なままだったり、

成熟する速度ばかりでは無く、
成熟する心の部分もまちまちです。


そんな様々で、まちまちで、多様な心を持つ人達の中で、

関わり合う人がいる訳です。

仕事の同僚、たまに会う友人、すれ違う時に会釈するご近所さん、いろいろです。

勿論、家族、恋人、親友…。

特にドラマチックな出会いや、付き合いでは無いけれど、

条件、タイミング、相性、少なく無い要素が重なって、限りある生命の時間を共有しています。

世界の800億の人の中で、家族になった、親友になった、ご近所さんになった、
その時点で、ある意味ドラマチックです。

そんな出会いが有り、生命の時間を共有しても、

人の心は変化します。

変化する者同士が出会ったのですから、仲違いをしたり、自然に疎遠になったりします。

心が別々の速度で成長します。
成長する心の部位もまちまちです。

意気投合して、長く付き合った友人であっても、
双方が別々に成長、変化します。

お互いに変化して尚、続く関係性も良いですし、
成長し、離れることも悪く無いと思います。

むしろ、
形ある物が壊れる様に、
生命がいつか燃え尽きる様に、
誤解を恐れずに言うならば、人間関係も卒業することは、至って自然な在り方だと思います。

生きることは、ある意味、変化を受け入れること、とも言える様な気がしています。

形ある物は、いつか壊れ、
生きとし生けるものは、いつか死すならば、

全ては変化するから素晴らしく、
終わりのあるものは尊い、そう思います。

一期一会と言います。

変容し、終わりのある人生で、
限りある時間を共有したことに、
感謝したい、と思うのです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム















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